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No.75新着 助監督・制作・美術・衣装・メイク 現場を支えるスタッフと、撮影所システムの終わり

日本の現場では、技師と助手の組で部署が成り立つ。助監督は監督への道でもあったが、1971年ごろに撮影所の専属制が崩れ、フリーの時代に移った。

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登録日時
2026年10月29日 13:38
出典を確かめた日
2026年10月29日
分野
映画の作り方
立場
事実・データ
タグ
邦画新着
作品・人物
助監督、五社協定、永田雅一、日活、大映、東宝
資料の種類
事典・概説
年代
1950年代、1970年代

本文と出典

あらまし

映画の現場には、俳優や監督のほかに、数十人のスタッフがいる。日本ではこれを、専門技術を持つ「技師」と、それを補佐する「助手」に分けて数える。ここでは、助監督を中心に現場の役割を整理し、かつての撮影所システムがどう終わったかを見る。

主なできごと

・1953年 五社協定が調印される(9月10日)
・1958年 日活が加わり、六社協定になる
・1961年 新東宝が経営破綻し、再び五社体制に戻る
・1971年 五社協定が自然消滅したとされる。日活は成人向けロマンポルノに移り、東宝は専属俳優を一斉に解雇し、大映は年末に経営破綻する
・2000年ごろ クレジットに助監督をチーフだけ載せる映画が増える

くわしく 現場の部署

参照した事典の分類では、撮影、照明、録音、美術、衣裳、メイク、編集が「技師」の部署である。演出部(助監督)、制作部、撮影部、照明部、録音部、美術部などに、それぞれ助手がつく。脚本家、スクリプター(撮影の記録をつける人)、音楽家は、助手をつけず単独で参加することが多い。
美術にはデザイナーと装飾、小道具や持道具の担当がいる。衣裳はデザイナーやスタイリスト、メイクはヘアメイクが担当する。こうした部署の細かな仕事の中身は、参照した事典には書かれておらず、今回は個別の出典を確かめられなかった。
制作部は、撮影が円滑に進むための管理と手配を担う。事典は、食事、車両、俳優の送迎といった仕事は、通常は助監督ではなく制作部の領分だと説明する。また、「製作」は企画や資金調達まで含む商業面全体を指し、「制作」は現場の実作業を指す。

くわしく 助監督の仕事

助監督は「監督の使い走り」ではない。事典によれば、映画のチーフ助監督は、撮影、照明、録音などの各部署の責任者と同格とされ、収入も同程度だという。
チーフは、準備から撮影までの日程全体を組み、各部署と調整する。セカンドは、衣裳やメイクとの調整、現場の進み具合の監視、端役やエキストラへの演技指導を担当する。サードは、美術や装飾、小道具との連携を担い、劇中に出てくる文書を作ることもある。フォースは、サードを補佐し、カチンコを打つことが多い。
チーフ助監督は、監督、製作会社、プロデューサーのいずれかが選ぶことが多いという。なお、昔の映画のクレジットには、チーフだけ、あるいはセカンドまでしか載らないことが多かった。
事典は、セカンドの位置を、監督を育てるうえで要になる持ち場だと説明する。俳優への指示や現場の動きを間近で見て、全体を動かす訓練になるからだと読める。ただし、この点は事典の記述の言い換えであり、個々の監督の経歴までは確かめていない。

くわしく 徒弟制度から、フリーへ

撮影所の時代、助監督を経験することは、監督になるほぼ唯一の道だった。助監督はさまざまなジャンルの作品を経験し、会社に力を認められると、監督に昇進した。
撮影所システムは、映画会社が監督や俳優と専属契約を結んで、製作から配給、興行まで握る体制だった。1953年の五社協定は、専属の監督や俳優の引き抜きを禁じ、貸し出しの特例もなくした。表向きは引き抜きの禁止だが、実際の狙いは、製作を再開した日活による俳優の引き抜きを封じることだったとされる。1950年代の後半には、テレビへの劇映画提供や、専属俳優のテレビ出演を制限するためにも使われた。協定は広く知られておらず、各社の社長だけが内容を把握していたという証言もある。
映画産業が斜陽になり、1971年には協定が自然消滅したとされる。専属制によるスター・システムも崩れた。撮影所が衰えるのと並行して、フリーで働くスタッフが増えた。現在は、助監督の経験が監督になる必須の条件ではなく、テレビ、広告、脚本、芸能の分野から監督になる人も多い。2000年ごろからは、クレジットにチーフ助監督だけを載せ、ほかを「監督助手」とする映画が多くなった。

なぜ今も語られるのか

技師と助手の組み方は、技能を現場で受け継ぐ仕組みでもあった。専属制が終わり、会社が人を育てなくなったとき、技能をどこでどう受け継ぐかが課題になったと考えられる。ただし、これは本稿の出典では数字で確かめられていない。

評価の分かれる点

五社協定が日本映画に与えた影響には、評価の分かれる面がある。俳優や監督を縛ったという見方がある一方、撮影所の専属制が人を育てたという見方もある。どちらも、本稿で確かめた範囲を超えるので、断定はしない。

くらさんの考察

助監督が「同格の責任者」とされる点は、現場の日程調整が、映画の完成に欠かせない仕事だったことを示すと考えられる。

ジージへの問いかけ

・映画会社ごとに、専属の俳優が決まっていた頃の映画館は、どんな雰囲気でしたか。
・エンドロールで、助監督や制作の名前を目で追ったことはありますか。

出典

・助監督 (映画スタッフ)(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/助監督_(映画スタッフ)
・映画スタッフ(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/映画スタッフ
・五社協定(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/五社協定
・映画製作(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/映画製作

動画

・日本映画大学|映画美術で見る「世界」のつくり方|美術監督 稲垣尚夫さん×映画監督 中原俊さんスペシャルトーク(日本映画大学 / NihonEigaDaigaku)https://www.youtube.com/watch?v=eQ46lUFv6AM

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