名作を読む名作には、残るわけがある
作品を1つずつ、生まれたいきさつ、当時の受け止め、なぜ今も語られるのかを調べました。脚本や台詞は載せていません。
No.81東京物語小津安二郎1953年、1950年代家族が離れていくことを、静かに見つめたNo.82七人の侍黒澤明1954年、1950年代一年がかりで撮った、野武士と農民の合戦No.83ゴジラ本多猪四郎1954年、1950年代水爆実験の年に生まれた、最初の怪獣映画No.84羅生門黒澤明1950年、1951年、1950年代ヴェネツィア金獅子賞が、日本映画を世界に知らせたNo.85男はつらいよ山田洋次1969年、1970年代、1990年代テレビの最終回への抗議から、シリーズが始まったNo.86砂の器野村芳太郎1974年、1970年代台詞をほぼ削った、親子の旅の十分間No.87千と千尋の神隠し宮崎駿2001年十歳の少女のために作られ、日本の興行記録を塗り替えたNo.88Shall we ダンス?周防正行1996年中年男の社交ダンスが、日本アカデミー賞を総なめにしたNo.89おくりびと滝田洋二郎2008年納棺という仕事を、静かな物語にしたNo.90万引き家族是枝裕和2018年血のつながらない家族を、カンヌのパルムドールが評価したNo.91劇場版「鬼滅の刃」無限列車編外崎春雄2020年コロナ禍の映画館に、行列が戻ったNo.92ドライブ・マイ・カー濱口竜介2021年村上春樹の短編が、アカデミー賞国際長編映画賞に届いた
俳優と監督
- 原節子『永遠の処女』と呼ばれた、小津映画の顔原節子(1920〜2015)は、1935年に日活でデビューし、戦後は小津安二郎作品で看板女優になった。1963年に事実上引退し、理由は語られないまま2015年に亡くなった。ウィキペディアの記述を土台に、その仕事と評価の割れ方をたどる。
- 高峰秀子『子役は大成しない』を破った、五歳から五十五歳までの女優高峰秀子(1924〜2010)は1929年に子役で映画に出はじめ、1979年に引退するまで50年にわたり主演を続けた。『二十四の瞳』『浮雲』などの代表作と、引退後の文筆の仕事、評価の割れる点を整理する。
- 吉永小百合『キューポラのある街』から『こんにちは、母さん』まで吉永小百合は1959年に映画デビューし、2025年にも主演作がある。日活の清純な娘役から、大人の女性へ役を移した歩みと、日本アカデミー賞主演女優賞の受賞回数などを、映画の仕事に絞って整理する。
- 樹木希林脇で光り、主演にもなった、映画の最晩年樹木希林(1943〜2018)は、日本アカデミー賞の主演と助演の両方で最優秀賞を受けた数少ない女優である。『歩いても 歩いても』『あん』『万引き家族』などをたどり、亡くなった年に3本が公開された晩年を整理する。
- 三船敏郎『世界のミフネ』と呼ばれた、黒澤映画の主役三船敏郎(1920〜1997)は、東宝ニューフェイスから黒澤明作品の主役になり、ヴェネツィア国際映画祭で男優賞を2度受けた。三船プロダクションの設立と閉鎖、海外の仕事、デビューの経緯をめぐる食い違いを整理する。
- 高倉健任侠映画の看板から、『鉄道員』の主演男優賞まで高倉健(1931〜2014)は東映ニューフェイスから出て、任侠映画の看板になり、1976年の東映退社後は『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』などで主演男優賞を重ねた。2012年の『あなたへ』が最後の主演作になる。
- 渥美清『男はつらいよ』の寅さんになる前と後渥美清(1928〜1996)は、1969年に始まった『男はつらいよ』で車寅次郎を演じた。シリーズは50作、実質の遺作は1995年の第48作。寅さん以前の仕事、受賞、寅さんと素顔の見方の違いをまとめる。
- 笠智衆と、小津映画の俳優たち日本の父親像をつくった顔ぶれ笠智衆(1904〜1993)は、1925年に松竹の研究生となり、10年以上の端役を経て、小津安二郎作品で父親役を重ねた。『東京物語』の平山周吉、『男はつらいよ』の御前様まで、小津映画の俳優たちとともにたどる。
- 小津安二郎固定したカメラで家族の別れを撮り続けた監督小津安二郎は松竹で撮影助手から監督になり、1927年から1962年まで撮り続けた。低い位置に据えたほぼ固定のカメラで、親子と家族の別れを描いた。『東京物語』は後年、海外の映画人の投票でも上位に挙がっている。
- 黒澤明世界の映画人が師と仰いだ監督黒澤明は1943年に『姿三四郎』で監督になり、『羅生門』でヴェネツィア金獅子賞を受けた。三船敏郎や志村喬と多くの作品を作り、海外の映画人にも影響を与えたとされる。
- 溝口健二一場面を長い一カットで撮った女性映画の巨匠溝口健二は1923年に監督になり、1950年代にヴェネツィアで3年連続の受賞を果たした。長回しを多用する作風で、フランスの批評家にも高く評価された。
- 宮崎駿手描きの冒険を長編アニメの中心に据えた監督宮崎駿は東映動画のアニメーターから、劇場作品の監督になった。1985年のスタジオジブリ設立後に数々の長編を作り、『千と千尋の神隠し』と『君たちはどう生きるか』でアカデミー賞の長編アニメ映画賞を受けた。
- 北野武お笑いの人気者が撮った暴力と静けさの映画北野武は1989年の『その男、凶暴につき』で映画監督になり、1997年の『HANA-BI』でヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受けた。映画監督としての仕事を中心に整理する。
- 是枝裕和テレビの記録から家族の映画へ進んだ監督是枝裕和はテレビのドキュメンタリーから映画へ進み、1995年の『幻の光』で監督デビューした。2018年の『万引き家族』でカンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受けた。
- 伊福部昭ゴジラの音楽を書いた北海道生まれの作曲家伊福部昭は北海道で育ち、ほぼ独学で作曲を学んだ。1947年に映画音楽を始め、1954年の『ゴジラ』をはじめ、300本以上の映画に曲をつけたとされる。