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No.106新着 高倉健 任侠映画の看板から、『鉄道員』の主演男優賞まで

高倉健(1931〜2014)は東映ニューフェイスから出て、任侠映画の看板になり、1976年の東映退社後は『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』などで主演男優賞を重ねた。2012年の『あなたへ』が最後の主演作になる。

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登録日時
2026年10月29日 13:38
出典を確かめた日
2026年10月29日
分野
俳優と監督
立場
くらさんの考察
タグ
邦画新着男優新着東映新着
作品・人物
高倉健、石井輝男、山田洋次、降旗康男、東映、松竹
資料の種類
事典・概説
年代
1955年〜2012年

本文と出典

あらまし

高倉健は1931年2月16日に福岡県中間市で生まれ、2014年11月10日に悪性リンパ腫のため83歳で亡くなった。本名は小田剛一とされる。1955年に東映ニューフェイス第2期生として入社し、1956年の『電光空手打ち』で主演デビューした。ウィキペディアによれば、主演作は205本目の『あなたへ』(2012年)まで続いた。

主なできごと

・1955年 東映ニューフェイス第2期生として入社
・1956年 『電光空手打ち』で主演デビュー
・1963年 『人生劇場 飛車角』で準主役
・1964年 『日本侠客伝』で主役。任侠路線の看板になる
・1965年 『網走番外地』シリーズが始まる
・1966年 『昭和残侠伝』の主題歌『唐獅子牡丹』が大ヒット
・1976年 東映を退社し、フリーに
・1977年 『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』。第1回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞
・2012年 『あなたへ』(降旗康男監督)。6年ぶりの主演作

東映の時代

初期は現代劇が中心で、美空ひばり主演作にも助演したが、人気は伸び悩んだと記されている。転機は、1963年の『人生劇場 飛車角』で準主役を務め、任侠映画の足がかりをつかんだことである。1964年の『日本侠客伝』で主役になった。『網走番外地』は、1965年から始まり全18作とされ、本文では石井輝男が監督と書かれている。『昭和残侠伝』の主題歌『唐獅子牡丹』は1966年に大ヒットした。
この時期は年間10本以上を撮る体制で、似た筋立てが続いたため、本人は心身が疲れ、不本意な演技も多かったと記述されている。

東映を出て

1970年頃、出演料の値上げ交渉が実って高倉プロを作った。しかし1971年に大川博社長が亡くなり、後任の岡田茂社長のもとで特例は取り消された。1975年の『新幹線大爆破』では犯人役を演じ、従来のイメージを変える作品になった。1976年に東映を退社し、本数契約のフリーになった。同年公開の『君よ憤怒の河を渉れ』(大映系)は、任侠映画のイメージから離れる作品となり、1979年に中国で公開されると大きな反響があったとされる。

一九七七年以降

1977年の『八甲田山』と『幸福の黄色いハンカチ』で、第1回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞とブルーリボン賞主演男優賞(第20回)を受けた。『幸福の黄色いハンカチ』は山田洋次監督の作品で、松竹への初出演作である。日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞は計4回とされ、対象は『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』、『動乱』『遙かなる山の呼び声』、『駅 STATION』、『鉄道員(ぽっぽや)』である。ブルーリボン賞の主演男優賞は1977年と1999年である。

出演作の数

ウィキペディアは、活動期間を1955年から2014年とし、2012年の『あなたへ』を205本目の主演作と書いている。1976年にフリーとなってからは、本数を絞って作品を選ぶ形になった。年間10本以上を撮った東映の時代とは、仕事の進め方がまるで違う。1977年の山田洋次監督作品への出演は、東映から離れたからこそ実現した顔合わせと考えられる。

賞と栄誉

紫綬褒章を1998年、文化功労者を2006年、菊池寛賞を2012年、文化勲章を2013年に受けた。文化勲章の記者会見で「日本人に生まれて本当によかった」と述べたとされる。2013年には日本アカデミー賞の優秀主演男優賞に選ばれたが、若い人に譲りたいとして辞退した。2014年のレコード大賞の特別栄誉賞も辞退したと報じられた。

評価の分かれる点

任侠映画の量産について、ウィキペディアは、本人にとっては負担が大きかったと書く。『網走番外地』の主題歌は、歌詞の一部が反社会的として一時放送禁止になったと記されている。一方で、同じ型の繰り返しだったからこそ、東映の看板になれたと見ることもできる。
本名の表記にも、小田剛一か小田敏政かという複数の説があり、ウィキペディア自身が注記している。

くらさんの考察

東映時代の疲れと、フリーになってからの選ぶ姿勢は、作品の見方にも影響すると考えられる。『八甲田山』と『幸福の黄色いハンカチ』が同じ年に並んだことは、寡黙さが任侠の役にも、庶民の役にも使えることを示した。賞の辞退が続いたことは、自分の仕事を選ぶ人という像と結びつきやすい。ただし、辞退の理由は報じられたものしか確かめられておらず、内面までは分からない。

ジージへの問いかけ

・任侠映画が流行った時代の映画館の空気を、覚えていますか。
・『幸福の黄色いハンカチ』と『八甲田山』では、どちらが印象に残っていますか。
・高倉健が賞を辞退したことを、どう思いますか。

出典

・ウィキペディア「高倉健」 https://ja.wikipedia.org/wiki/高倉健

動画

・鉄道員(ぽっぽや) 発売【告知】(東映ビデオ)https://www.youtube.com/watch?v=GvjrgDjOunw

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