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No.131新着 ハリウッドの歴史 スタジオが映画を作り、テレビに押され、大作で立て直すまで

ハリウッドは、20世紀初めにカリフォルニアの一地区から映画産業の中心になった。スタジオが製作から上映までを握った時代、1948年の判決とテレビによる崩壊、ニューシネマ、大作中心の時代を経て、現在に至る流れを日本との関わりを添えて整理する。

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登録日時
2026年10月29日 13:38
出典を確かめた日
2026年10月29日
分野
世界の映画
立場
事実・データ
タグ
洋画新着海外とのつながり新着数字・統計新着
作品・人物
ハリウッド、パラマウント、ジョーズ、スター・ウォーズ、影武者
資料の種類
事典・概説
年代
1910年代〜2020年代

本文と出典

あらまし

ハリウッドはロサンゼルス市の一地区の名前である。そこに撮影所が集まり、アメリカ映画の代名詞になった。日本の映画好きにとっては、戦前から戦後まで、洋画といえばほぼハリウッド作品を指した。この記事では、その産業の形が何度か大きく変わった点を軸に、百年ほどの流れを追う。

主なできごと

・1908年 特許を管理する団体が設立される。参加しない独立系の製作者は、取り締まりを逃れてロサンゼルス一帯で撮影した
・1910年 ハリウッドがロサンゼルス市と合併する
・1911年 ハリウッド最初のスタジオが建てられる
・1930年 映画製作倫理規程(ヘイズ・コード)が発表される。1934年に管理局が置かれ、自主規制は1967年まで続いた
・1948年 パラマウント判決。スタジオ・システムが崩れていく
・1968年 レイティング(年齢区分)が導入され、ヘイズ・コードは廃止される
・1975年 『ジョーズ』が公開される
・1977年 『スター・ウォーズ』が公開される
・1994年 海外の興行収入が国内を初めて上回る
・2023年 全米脚本家組合と全米俳優組合がストライキを行い、製作が止まる

くわしく 西海岸に撮影所が集まった理由

ウィキペディアによれば、1908年に作られた特許管理団体に入らない独立系の製作者が、取り締まりを避けてロサンゼルス一帯に移った。気候が撮影に向き、メキシコに近いことも利点とされる。東海岸より日照が多く、雨の日が少ないことも移転の理由に挙げられている。この団体は1915年に反トラスト法違反とされ、1917年に消滅した。

くわしく スタジオ・システムと黄金時代

1920年代に、製作・配給・興行が一つの会社に統合され、系列化された。作品をまとめて系列の映画館にかけるブロック・ブッキングが行われた。1930年代から1940年代は黄金時代と呼ばれ、年間400〜500本の長編が作られたとされる。『キング・コング』『風と共に去りぬ』『駅馬車』『市民ケーン』が代表作に挙がる。

くわしく 判決とテレビ、そしてニューシネマ

1946年にハリウッドの観客動員は史上最多になったが、翌年から減り始めた。1948年のパラマウント判決で、スタジオ・システムは崩れていった。そこにテレビの普及が重なり、映画館の客は減った。対抗策として、シネマスコープやビスタビジョンなどの大画面化や、3D映画が登場した。3Dは1950年代半ばに熱が冷めた。同じ時期には赤狩りで多くの映画人が追放されている。
1960年代後半には、1967年の『俺たちに明日はない』『卒業』、1969年の『イージー・ライダー』など、若い観客に支持された作品が続いた。アメリカン・ニューシネマと呼ばれる。1970年代には作家性の強い監督が台頭し、1972年に『ゴッドファーザー』が生まれた。

くわしく ブロックバスターの時代

『ジョーズ』は作家性のある監督の作品でありながら分かりやすく、幅広い客を集めた。『スター・ウォーズ』は産業の枠を超えた影響を与えた。以後、大きな予算をかけて視覚的な見せ場を押し出す大作(ブロックバスター)が、ハリウッドの製作の型になった。平均製作費は1980年の940万ドルから1990年の2,680万ドルに上がった。1995年にはピクサーの『トイ・ストーリー』が世界初のフルCGアニメーション長編になった。2008年の『アイアンマン』以降はマーベル作品が大きな成功を収め、ディズニーがマーベル、ルーカスフィルム、21世紀フォックスを買収した。2018年には、ネットフリックスが製作した『ROMA/ローマ』がアカデミー監督賞を受けている。

くわしく 現在

ウィキペディアは、メジャーの映画スタジオが現在5社に集約され、ハリウッドに拠点を置くのはパラマウント・ピクチャーズだけだと記す。2020年は新型コロナウイルスで多くの映画館が閉まり、2023年には『オッペンハイマー』と『バービー』が大ヒットした一方、二つの組合のストライキで製作が止まった。「スーパーヒーロー疲れ」という言葉も生まれ、先行きは見通しにくいとされる。

日本との関わり

映連の統計では、洋画の興行シェアは1955年が34.2%、1975年が55.6%、1998年が69.8%、2002年が72.9%と、長く伸びた。2008年以降は邦画が上回り続け、2025年の洋画は24.4%である。ただし1999年までは配給収入、2000年以降は興行収入の数字であり、同じ物差しではない。
逆向きの例もある。黒澤明の『影武者』(1980年)は、ジョージ・ルーカスとフランシス・フォード・コッポラの助力で、20世紀フォックスが海外配給権を得る形で資金が整ったとされる。ハリウッドの大作の旗手が日本の巨匠を支えた例である。

なぜ今も語られるのか

ハリウッドの歴史は、技術が変わるたびに産業の形が組み替わってきた歴史でもある。トーキー、カラー、テレビ、ビデオ、CG、配信のどれも、既存の仕組みを壊しながら新しい勝者を作った。日本の映画会社も同じ波を受けており、比べて読むと日本側の動きが見えやすい。

評価の分かれる点

黄金時代の区切り方は資料によって異なる。1948年の判決を終わりとみる説明が多いが、1950年代にも大作ミュージカルは全盛を迎えており、どこで線を引くかは決めにくい。

くらさんの考察

スタジオ・システムが崩れたあと、ニューシネマの作家たちが自由に撮れた背景には、系列館を失った会社が企画を外から買わざるをえなくなった事情があったと考えられる。ブロックバスターの登場はその揺り戻しともみえる。ただし、これは資料の事実をつないだ推測であり、断定はしない。

ジージへの問いかけ

・子どものころ最初に見た洋画は、ハリウッド作品でしたか。
・大作ばかりの今の映画と、昔の二本立ての時代とで、映画館の楽しみ方はどう変わったと思いますか。

出典

・ハリウッド(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/ハリウッド
・アメリカ合衆国の映画(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の映画
・影武者(映画)(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/影武者_(映画)
・日本映画連盟 年別の邦画・洋画の興行収入とシェア https://www.eiren.org/toukei/data.html

動画

・【ハリウッドリポート】ハリウッド5大メジャースタジオとは?(後編)<見逃し配信>(TOHOシネマズ公式チャンネル)https://www.youtube.com/watch?v=nCvbrcdb3PU

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