数字・統計このタグの資料 26 本

  1. 日本の映画賞 日本アカデミー賞、キネマ旬報、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞の違い新着No.163

    日本の主な映画賞は、誰が選ぶか、いつ始まったかがそれぞれ違う。キネマ旬報は1924年、毎日映画コンクールは1946年、ブルーリボン賞は1950年度、日本アカデミー賞は1978年に始まった。

  2. 洋画の日本公開 字幕と吹替、字幕翻訳者、邦画と洋画のシェアの移り変わり新着No.137

    日本では洋画は主に字幕で上映され、テレビでは吹替が育った。映連の統計では、洋画の興行シェアは1975年に初めて半分を超え、2002年に72.9%まで上がり、2025年は24.4%である。

  3. インド映画 『ムトゥ 踊るマハラジャ』から『RRR』まで、日本での受け入れ方新着No.136

    インドは言語ごとに映画産業をもつ巨大な国である。日本では1998年に『ムトゥ』が単館上映から広がり、24年間、日本で最も売れたインド映画だった。2022年の『RRR』がそれを上回った。

  4. 韓国映画の躍進 検閲の撤廃から『パラサイト 半地下の家族』の作品賞まで新着No.135

    韓国映画は、1990年代後半に法律と組織を整え、1999年の『シュリ』で国内外に広がった。2019年の『パラサイト 半地下の家族』は、カンヌの最高賞とアカデミー賞作品賞を受けた。確かめられた政策と数字を年順に整理する。

  5. ハリウッドの歴史 スタジオが映画を作り、テレビに押され、大作で立て直すまで新着No.131

    ハリウッドは、20世紀初めにカリフォルニアの一地区から映画産業の中心になった。スタジオが製作から上映までを握った時代、1948年の判決とテレビによる崩壊、ニューシネマ、大作中心の時代を経て、現在に至る流れを日本との関わりを添えて整理する。

  6. ドライブ・マイ・カー(ビターズ・エンド・2021年) 村上春樹の短編が、アカデミー賞国際長編映画賞に届いた新着No.92

    濱口竜介監督が村上春樹の短編を映画にした179分の作品。2021年のカンヌ国際映画祭で脚本賞を含む複数の賞を受け、2022年3月27日の第94回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞し、日本映画で初めて作品賞の候補にもなった。

  7. 劇場版「鬼滅の刃」無限列車編(東宝・アニプレックス・2020年) コロナ禍の映画館に、行列が戻った新着No.91

    2020年10月16日に公開され、新型コロナで映画館の客足が落ちた時期に、日本の興行収入の歴代首位に立った。最終成績は観客動員2917万人、興行収入404億円(ウィキペディア)。

  8. 万引き家族(ギャガ・2018年) 血のつながらない家族を、カンヌのパルムドールが評価した新着No.90

    是枝裕和監督が、貧しい暮らしの中で寄り添う一家を描いた映画。2018年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受け、日本人監督の作品としては1997年の『うなぎ』以来21年ぶりだった。国内の興行は約45.5億円。

  9. おくりびと(松竹・2008年) 納棺という仕事を、静かな物語にした新着No.89

    納棺師という職業を描き、2008年9月13日に公開された滝田洋二郎監督の映画。本木雅弘が青木新門の『納棺夫日記』に感銘を受けたことが企画の出発点になった。2009年のアカデミー賞外国語映画賞を受け、公開から半年後に興行が大きく伸びた。

  10. Shall we ダンス?(東宝・1996年) 中年男の社交ダンスが、日本アカデミー賞を総なめにした新着No.88

    周防正行監督が、社交ダンス教室に通い始めたサラリーマンを描いた映画。1996年1月27日に公開され、第20回日本アカデミー賞で14部門を受賞した。ミラマックスの配給で米国でも公開され、2004年にはハリウッドでリメイクされた。

  11. 千と千尋の神隠し(東宝・2001年) 十歳の少女のために作られ、日本の興行記録を塗り替えた新着No.87

    宮崎駿監督が、スタジオジブリ関係者の十歳前後の少女たちに向けて作った長編アニメ。2001年7月20日に公開され、当時の日本映画の興行記録を更新し、ベルリン国際映画祭の金熊賞とアカデミー賞長編アニメ映画賞を受けた。

  12. 男はつらいよ(松竹・1969年〜) テレビの最終回への抗議から、シリーズが始まった新着No.85

    1969年8月27日に第1作が公開された松竹の人情喜劇。テレビドラマ最終回への視聴者の抗議が映画化につながった。渥美清が出演した48作は、配給収入464億3000万円、観客動員7957万3000人とされる。

  13. フィルムからデジタルへ 撮影と上映の変化と、フィルムを残すということ新着No.78

    映画館は2010年代初めにフィルム映写機からDCPというデジタル上映に移った。国立映画アーカイブは、デジタル保存には費用と消失の危険があるとして、フィルム原版を残す立場を取っている。

  14. 映倫とレイティング 検閲ではなく、映画界の自主規制という仕組み新着No.77

    映倫は映画界が設けた第三者による審査機関で、公開前に作品をG、PG12、R15+、R18+に分ける。成り立ちには占領期の検閲と、1956年の太陽族映画をめぐる批判がある。

  15. 配給と宣伝 映画を観客に届ける仕事と、ブロックブッキングの時代新着No.76

    配給会社は買い付け、宣伝、上映用素材の供給、映画館との契約を担う。かつての日本はブロックブッキングが主流で、1980年代にミニシアターが単館での公開を広げた。

  16. 映画ができるまで 企画から公開までの道のりと、製作委員会方式という日本の仕組み新着No.71

    映画は企画、資金集め、撮影準備、撮影、仕上げ、配給、公開の順に進む。日本では複数の会社が出資する製作委員会方式がよく使われ、製作側と配給側でお金の流れが分かれる点に特徴がある。

  17. 日本の映画興行の数字 ピークの1958年と現在新着No.59

    映連の統計では、年間入場者数のピークは1958年の約11億2,745万人で、2025年は約1億8,876万人にあたる。興行収入の歴代ランキングは、配給収入と興行収入が混ざるため、単純には比べられない。

  18. 映画館の移り変わり 封切館からシネコンまで新着No.58

    日本のスクリーン数は1960年の7,457をピークに減り、1993年に1,734まで落ちたあと、シネコンの登場で増えた。2025年は3,697で、うちシネコンが3,305である。

  19. 製作委員会方式 映画の資金を分け合う仕組みと弱点新着No.57

    製作委員会方式は、複数の会社が出資し、作品の権利を共同で持つ仕組みである。民法上の任意組合とされ、リスクを分けられる反面、権利の整理に手間がかかる。映画では1990年代に主流になったと説明される。

  20. 喜劇とシリーズ映画 社長シリーズから男はつらいよまで新着No.35

    東宝は社長シリーズと駅前シリーズで、松竹は男はつらいよで、同じ顔ぶれの続き物を長く売った。それを可能にしたのは、映画会社が上映館まで握る体制と二本立てだった。

  21. アニメ映画 白蛇伝からジブリ、鬼滅の刃まで新着No.33

    1958年の東映動画『白蛇伝』を出発点に、ジブリの設立、『千と千尋の神隠し』『君の名は。』を経て、2020年に『鬼滅の刃』が国内歴代1位となった。2025年の年間興収も、アニメが牽引した。

  22. 2000年以降の映画 シネコンと製作委員会、コロナ禍を越えて最高の年へ新着No.7

    2000年以降はシネコンが主流になり、製作委員会方式とアニメ映画の大ヒットが興行を支えた。2020年にコロナ禍で入場者が1億610万人台まで落ち、2025年に映連の統計で興行収入が2,744億円と最高になった。2026年の上半期は、ディズニーの洋画と『名探偵コナン』がけん引している。

  23. 1990年代の映画 低迷の底でシネコンが来て、もののけ姫が記録を作った新着No.6

    1990年代前半は入場者とスクリーン数が最低水準まで落ち、日活が会社更生法を申請した。1993年のシネコン登場から潮目が変わり、1997年の『もののけ姫』が配給収入117億6,000万円で邦画の記録を作った。

  24. 1980年代の映画 角川商法とビデオ、そしてナウシカ新着No.5

    1980年代は角川映画のアイドル路線、レンタルビデオの正式な広がり、アニメ映画の台頭、ミニシアターの誕生が重なった。『風の谷のナウシカ』(1984年)の成功からスタジオジブリが1985年に生まれた。

  25. 1960〜70年代の映画 観客が減り、五社が崩れ、新しい作り手が出た新着No.4

    映連の統計では、入場者は1960年の約10億人から1970年代末の約1億6,500万人まで落ちた。五社の体制は大映の倒産と日活のロマンポルノ転換で崩れ、東映の実録路線やATG、角川映画が新しい流れを作った。

  26. 戦後の映画 占領から黄金期へ、羅生門が世界に出た新着No.3

    戦後の日本映画は占領下の検閲と東宝争議から始まり、1951年に『羅生門』がヴェネツィアで金獅子賞を得た。映連の統計では入場者は1958年の約11億2,700万人が最多で、五社の体制もこの時期にできた。

ほかのタグ