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No.133新着 イタリア映画とネオレアリズモ 廃墟の街で、素人を使って撮った戦後

ネオレアリズモは、戦後イタリアで1940年代に確立した写実的な映画の動きである。日本には1949年9月以降に作品が相次いで公開され、「ネオリアリズム」の名で紹介された。確かめられた範囲の事実と、わからない点を分けて整理する。

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登録日時
2026年10月29日 13:38
出典を確かめた日
2026年10月29日
分野
世界の映画
立場
事実・データ
タグ
洋画新着海外とのつながり新着監督新着
作品・人物
ロベルト・ロッセリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ルキノ・ヴィスコンティ、チェーザレ・ザヴァッティーニ、松竹
資料の種類
事典・概説
年代
1943年〜1950年

本文と出典

あらまし

ネオレアリズモ(新しい写実主義)は、第二次世界大戦のあとのイタリアで生まれた映画の動きである。ウィキペディアによれば、1930年代ごろから兆しがあり、1943年から1950年にかけて確立した。背景には、ファシズム文化への抵抗、戦後の混乱、知識人の社会的責任という考え方が挙げられている。

主なできごと

・1945年 ロッセリーニ『無防備都市』
・1948年 デ・シーカ『自転車泥棒』
・1948年 ヴィスコンティ『揺れる大地』
・1949年9月以降 『戦火のかなた』『平和に生きる』『靴みがき』が日本で相次いで公開され、「イタリアのネオリアリズム作品」として扱われる

くわしく どんな映画だったか

主な作品と監督は、ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』(1945年)、ヴィットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』(1948年)、ルキノ・ヴィスコンティの『揺れる大地』(1948年)である。脚本家ではチェーザレ・ザヴァッティーニが代表的な人物とされる。作品の年は、ウィキペディアの記述にあわせた。国によって公開年が違うため、日本公開年とは一致しない。
共通する特徴は、戦後の暮らしを撮ったことである。ただし、素人の俳優を使ったか、実際の街で撮ったかなど、細かい手法は作品ごとに違い、今回開いた資料では一つ一つを確かめていない。そのため、作品の撮り方の説明は書かない。

くわしく 日本での受け止められ方

日本では1949年9月以降、『戦火のかなた』『平和に生きる』『靴みがき』が次々に公開された。この三本は「イタリアのネオリアリズム作品」として扱われた、とウィキペディアにある。
同じ記事には、松竹が1938年の『その夜の女』に「ネオ・リアリスモ」という副題を付けて宣伝した例も挙げられている。これは上の確立期(1943〜1950年)より前であり、この言葉が日本で、イタリアの動きとは別に使われた例として読める。ただし、この点は資料が簡単に触れるだけで、経緯は確かめられていない。

くわしく 日本の批評での扱い

キネマ旬報ベスト・テンの外国映画の1位には、チャップリン、デ・シーカ、ワイラー、フェリーニなどの作品が並ぶ、とウィキペディアにある。デ・シーカの作品が1位に選ばれた年があるのは確かだが、どの作品がどの年かは、今回開いたページの範囲では確かめられていない。したがって、「日本の批評家がイタリア映画を高く評価した」という大づかみの話にとどめる。

くわしく 同じ時代の日本

戦争で焼け野原になった点では、日本もイタリアと似た状況にあった。映連の統計では、1955年の邦画の配給収入は約210億円、洋画は約109億円で、洋画がすでに三分の一を占めていた。イタリア映画は、その洋画の一角として日本の観客に届いたことになる。ただし、イタリア映画だけの本数や収入は、今回確かめていない。

確かめられなかったこと

次の点は、今回の資料では確かめられなかったため、書かない。各作品の日本公開日(三本まとめて「1949年9月以降」とだけ確認した)、日本の監督がイタリア映画から受けた影響の中身、素人俳優や実景撮影といった手法の細部である。確かめた事実と、これから調べる課題を分けておく。

なぜ今も語られるのか

戦争で壊れた国が、自分たちの暮らしを自分たちの目で撮り始めた。この構図は、同じ敗戦国の日本にも通じる。日本の戦後映画も、焼け跡の暮らしを題材にした作品が多かった。映連の統計では、1955年の邦画の配給収入シェアは65.8%、洋画は34.2%であり、邦画が強い時代に、海外の写実的な映画が一定の関心を持たれたことになる。

評価の分かれる点

始まりをいつとみるかは説が分かれる。上の記事は1930年代ごろから兆しがあったとし、確立を1943年からとする。一方、『無防備都市』(1945年)を出発点とみる説明もありうるが、今回は確かめていない。どちらが正しいというより、何を「ネオレアリズモ」と呼ぶかの定義による。ここで確かめられたのは、上の記事の1943〜1950年という区切りだけである。

くらさんの考察

日本の監督が具体的にどの作品から何を学んだかは、今回確かめられていない。したがって「日本映画への影響」を個別の監督で語ることは避ける。確かめられるのは、作品が日本で紹介され、言葉として広まったところまでである。影響の中身は、本人の発言や批評を読んで確かめる課題として残る。

ジージへの問いかけ

・戦後に見たイタリア映画で、いちばん印象に残っているのはどの作品でしょうか。
・焼け跡の時代の日本映画と、イタリアの映画は、似ていると思いますか。

出典

・ネオレアリズモ(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/ネオレアリズモ
・日本映画連盟 年別の邦画・洋画の興行収入とシェア https://www.eiren.org/toukei/data.html

動画

・岡田温司「ネオレアリズモ イタリアの戦後と映画」(イタリア文化会館-大阪 Istituto Italiano di Cultura di Osaka)https://www.youtube.com/watch?v=N8n_neoWO_o

関連動画

この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが映画QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。