No.203新着 東京国際映画祭の歴史 渋谷の第1回から日比谷の第39回まで
東京国際映画祭は1985年に渋谷で始まり、隔年開催から毎年開催に移り、会場を六本木、日比谷・有楽町・銀座へと移してきた。第39回は2026年10月26日から11月4日までの会期で、この記事を書いた時点では開催中である。
本文と出典
あらまし
東京国際映画祭は、1985年に始まった日本で最も大きな国際映画祭である。
主催は公益財団法人ユニジャパンで、経済産業省と東京都が共催している。国際映画製作者連盟(FIAPF)の公認を受けた、日本で唯一の映画祭でもある。
本稿は、この映画祭がどう始まり、どこで開かれてきたかを、確かめられた資料の範囲でたどる。カンヌ、ベネチア、ベルリンとの比較や日本国内の映画賞は、別の記事で扱っているので省く。
主なできごと
・1985年 第1回。渋谷を舞台に開かれ、黒澤明監督『乱』がオープニングを飾った。グランプリは相米慎二監督『台風クラブ』
・1991年 第4回から毎年開催になった(それまでは隔年)
・1994年 第7回は京都で開かれた(平安遷都1200年の記念事業)
・2004年 第17回から六本木ヒルズが中心会場になった
・2021年 第34回から主会場を日比谷・有楽町・銀座地区に移した
・2025年 第38回。10月27日から11月5日まで。東京グランプリは『パレスチナ36』
・2026年 第39回。10月26日から11月4日まで
くわしく 第1回の経緯
ウィキペディアによれば、創設のきっかけはつくば万博に合わせた通商産業省(現在の経済産業省)の要請で、日本映画製作者連盟の会長だった岡田茂らが中心になって立ち上げた。会期は1985年5月31日から6月9日である。当初は4月開催を予定していたが、カンヌ国際映画祭側の反対を受けて5月末に変更されたという。
会場は渋谷だった。ウィキペディアは NHKホールを主会場としているのに対し、コトバンクは「渋谷のミニシアターを中心会場」と書いている。同じ映画祭の説明が資料によって違うので、主会場をどこと呼ぶかは断定しない。
nippon.com の記事によれば、渋谷区内には当時映画館が16館あり、屋外ステージでのイベントやパレードで街が映画祭一色になった。上映は140本で、コンペティション部門への応募は40の国と地域から519本だった。オープニングの『乱』には、映画評論家の淀川長治が除幕式に立った。
コンペの最高賞は、相米慎二監督の『台風クラブ』が受けた。日本映画が第1回の最高賞を取ったことになる。
くわしく 隔年から毎年へ、そして京都
第1回の後、開催は1987年、1989年と1年おきに続いた。毎年開催になったのは1991年の第4回からである。コトバンクには、ブリタニカ国際大百科事典の小項目事典が「隔年形式で続いている」と書いているとの注記がある。コトバンクの編集側は、これを毎年開催とする他の記述と食い違う古い情報とみている。
1994年の第7回は、平安遷都1200年の記念事業の一環として京都で開かれた。東京の名を冠した映画祭が一度だけ東京を離れた例である。
くわしく 渋谷から六本木、そして日比谷へ
ウィキペディアの整理では、2003年までは渋谷だけで開かれた。2004年から2008年は渋谷の Bunkamura と六本木ヒルズの二か所になり、2009年から2020年は六本木ヒルズが主会場で、渋谷では開かなくなった。
2021年からは主会場を日比谷・有楽町・銀座地区に移している。第39回の会場も、東京ミッドタウン日比谷、角川シネマ有楽町、TOHOシネマズ シャンテ、国立映画アーカイブなど、この一帯が中心である(ムービーウォーカー)。ただしこの記事には、竹芝のTIFFCOM会場、帝国ホテルなどの名も並ぶ。街ごとに完全に切り替わったわけではなく、会場は分散している。
くわしく 最高賞の名前
コンペティション部門の最高賞は「東京グランプリ」と呼ばれる。ウィキペディアによれば、第1回の時点では「グランプリ」の名称が使えず、第2回から使えるようになった。2005年の第18回に「東京 サクラ グランプリ」へ改称され、2014年に「東京グランプリ」へ戻された。コトバンクが現在の名として挙げる「東京サクラグランプリ」の表記は、この間の呼び方の名残とみられる。表記の揺れは資料のあいだで残っており、本稿では2025年の報道に合わせて「東京グランプリ」と書く。
くわしく 近年の2回
第38回(2025年)は10月27日に始まり、11月5日に閉幕した。東京グランプリ(東京都知事賞)はアンマリー・ジャシル監督の『パレスチナ36』が受けた。最優秀女優賞は『恒星の向こう側』の福地桃子と河瀬直美、最優秀男優賞は『春の木』のワン・チュアンジュン、観客賞は坂下雄一郎監督の『金髪』である(クランクイン!)。
第39回(2026年)は10月26日から11月4日までの会期である。ムービーウォーカーの記事では、フェスティバル・ナビゲーターは中島健人、川喜多記念映画文化財団が創設した川喜多かしこ映画文化賞が今年第1回の贈賞を迎える。黒澤明賞は呉美保とモハマド・ラスロフが受ける。部門の新設や変更は、公式の記述を開いて確かめられなかったので書かない。今日(2026年10月29日)は会期の途中で、東京グランプリなどの結果はまだ出ていない。
なぜ国が動いたのか
第1回の発端が万博に合わせた官庁の要請だったという点は、この映画祭の性格を決めている。映画会社の団体が主導し、国が後押しして始まったので、作品の発掘より先に「日本で国際映画祭を開く」ことが目的になっていた、と考えられる。その後の会場移動は、映画館の街だった渋谷から、再開発された六本木、そして大型の映画館とホールがそろう日比谷へという、都市側の事情に沿っている。
評価の分かれる点
会場の移り変わりをどう見るかは、資料からは決められない。街ぐるみの祭りだった第1回に比べ、会場が分散した現在は映画祭の一体感が弱いという見方も、観客が複数の会場を回れる利点とみる見方もあり得る。開催の頻度についても、年1回の確立が世界の映画祭での位置づけにどう効いたかは、確かめられていない。
くらさんの考察
第1回の最高賞が日本映画だったことと、後年の東京グランプリの多くを海外作品が占めていることは、並べて見る価値がある。ただし、歴代受賞作を今回は全部確かめていないので、傾向としては語らない。
名称が「グランプリ」の使用許可から「サクラ」付きの改称、そして元に戻すまで動いたことは、国際的な格を求めつつ「東京」の名を前に出す迷いの跡とも読めるが、これは推測である。
ジージへの問いかけ
・1985年の第1回のころ、渋谷の街で映画祭の空気を感じたことはありましたか。
・六本木や日比谷へ会場が移ったことで、映画祭は身近になったと思いますか、遠くなったと思いますか。
・「日本で国際映画祭を開く意味」は何だと思いますか。
出典
・コトバンク 東京国際映画祭 https://kotobank.jp/word/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%A5%AD-162245
・ウィキペディア 東京国際映画祭 https://ja.wikipedia.org/wiki/東京国際映画祭
・nippon.com 第1回東京国際映画祭の記事 https://www.nippon.com/ja/features/h00327/
・ムービーウォーカー 第39回東京国際映画祭の記事 https://press.moviewalker.jp/news/article/1451005/
・クランクイン! 第38回東京国際映画祭の結果 https://www.crank-in.net/news/176398
動画
・第39回東京国際映画祭 予告編 39thTIFF Trailer(東京国際映画祭)https://www.youtube.com/watch?v=HCD3vFAFvgc
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