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No.34新着 ドキュメンタリーと記録映画 文化映画から小川紳介、原一男、想田和弘まで

戦前の文化映画は映画法で上映が義務づけられた。戦後は小川紳介、土本典昭、原一男らが、取材対象と生活を共にする作り方を築き、近年は想田和弘の観察映画に続く。

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登録日時
2026年10月29日 13:38
出典を確かめた日
2026年10月29日
分野
ジャンル
立場
事実・データ
タグ
邦画新着ドキュメンタリー新着監督新着映画祭新着
作品・人物
亀井文夫、小川紳介、土本典昭、原一男、想田和弘
資料の種類
事典・概説
年代
1939年、1970年代、1987年

本文と出典

あらまし

劇映画ではない映画を、日本では長く「記録映画」「文化映画」と呼んできた。戦前は国の方針のもとで量産され、戦後は小さな製作集団が社会問題に近づく手法を作った。現在は、その流れを引いた作り手が映画祭や劇場で作品を見せている。

主なできごと

・1938年 亀井文夫の『上海』(東宝文化映画部製作)
・1939年 映画法の制定。文化映画と時事映画の上映が義務づけられる。亀井文夫の『戦ふ兵隊』が上映禁止になる
・1941年 日本ニュース映画社が日本映画社に改組
・1943年 主な文化映画会社を4社に統合
・1967年 小川紳介が小川プロダクションを結成
・1968年 『日本解放戦線・三里塚の夏』
・1971年 土本典昭『水俣 患者さんとその世界』
・1972年 原一男『さようならCP』
・1974年 小川プロダクションが山形県上山市へ移る
・1987年 原一男『ゆきゆきて、神軍』
・1989年 山形国際ドキュメンタリー映画祭が始まる
・2007年 想田和弘『選挙』

戦前の文化映画とニュース映画

文化映画は、ドイツのウーファ社が1920年代から30年代に作った「Kulturfilm」を語源とし、教育映画や短編の記録映画とほぼ同じ意味で使われた。1939年の映画法は、これを「国民精神ノ涵養又ハ国民智能ノ啓培ニ資スルモノニシテ劇映画ニ非ザルモノ」と法的に定め、映画館に文化映画と時事映画の上映を義務づけた。
製作は統合された。1941年5月に日本ニュース映画社が、東宝と松竹の文化映画部を吸収して日本映画社となり、1943年1月には日本映画社、朝日映画社、電通映画社、理研科学映画に整理された。その枠組みのなかで作られたのが、亀井文夫の『上海』(1938年)と『戦ふ兵隊』(1939年)である。前者は戦争の記録映画として知られ、後者は上映禁止となった。

小川紳介 農村に住み込んで撮る

小川紳介は1935年生まれ。1960年から1964年まで岩波映画の助監督として契約し、1967年に小川プロダクションを結成した。成田空港の建設に反対する農民を撮った『日本解放戦線・三里塚の夏』(1968年)から始まる三里塚のシリーズは、撮影隊が農民と共に暮らしながら作られた。
1974年に小川プロは山形県上山市へ移り、メンバーが農業をしながら映画を作った。『ニッポン国古屋敷村』(1982年)は、ベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞を受けている。小川は1989年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の創設に関わり、1992年に死去した。1993年には同映画祭に小川紳介賞が設けられ、小川プロは1994年に解散した。

土本典昭と原一男 題材と距離

土本典昭は1928年生まれで、1956年に岩波映画製作所に入った。1971年の『水俣 患者さんとその世界』を出発点に、水俣病を扱う連作が17本に及んだ。1975年には『不知火海』、1987年には『水俣病 その30年』を作っている。現地で生活しながら撮影する方法は、小川の三里塚と共通する。
原一男は1945年生まれ。1972年の『さようならCP』は、脳性麻痺の障害者運動を行う神奈川青い芝の会のメンバーを描いた。1987年の『ゆきゆきて、神軍』は、奥崎謙三を追った作品で、ベルリン国際映画祭でカリガリ賞、パリのシネマ・ドゥ・リールでグランプリを受けた。1994年の『全身小説家』は、作家の井上光晴を追いながら、その経歴の虚偽が明らかになる過程を捉えている。

現代の流れ 想田和弘の観察映画

想田和弘は1970年生まれで、NHK向けを含むテレビのドキュメンタリーを手がけたのち、独立した。自作を「観察映画」と呼び、先入観を最小にして撮る方法を取る。監督、撮影、録音、編集を自分で担うことが多い。川崎市の市議補選を描いた『選挙』(2007年)は2008年にピーボディ賞を受け、『精神』(2008年)は岡山の精神科診療所が舞台である。『精神0』(2020年)はベルリン国際映画祭でエキュメニカル審査員賞を得た。近作は『五香宮の猫』(2024年)である。確認できた範囲では、2025年以降の動向までは調べきれていない。

評価の分かれる点

ドキュメンタリーの客観性については、作り手の立場が分かれる。制作者の意図や主観が入り込む余地があるという指摘があり、森達也の見解として、ドキュメンタリーは制作者の主観や世界観を優先し、報道は客観性や中立性を重視するとされる。また資料の記述にも食い違いがある。『ニッポン国古屋敷村』のベルリンでの受賞は、本文では1982年作品への評価とされる一方、年表欄では1984年(第34回)となっていて、受賞年は確定できない。

くらさんの考察

戦前の文化映画は国が上映を義務づけた仕組みで、戦後の小川や土本は、小さな集団が自主的に作って自主的に上映する仕組みで、制作の条件がほぼ逆である。それでも、撮られる側に近づく方法が戦後のドキュメンタリーに共通しているので、権力から距離を取りたい作り手が生活を共にする手法を選んだ、と考えられる。

ジージへの問いかけ

・映画館のニュース映画やテレビのドキュメンタリーを見て、強く記憶に残っているものはありますか。
・水俣病や三里塚のような社会問題を扱った記録映画を、当時ご覧になりましたか。
・ドキュメンタリーは、作り手の見方が入っていても信用できると思いますか。

出典

・文化映画(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/文化映画
・記録映画(ドキュメンタリー)(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/記録映画
・小川紳介(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/小川紳介
・土本典昭(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/土本典昭
・原一男(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/原一男
・想田和弘(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/想田和弘

動画

・奥崎謙三生誕100周年記念 夏の神軍祭り『ゆきゆきて、神軍』特別予告編(原一男チャンネル)https://www.youtube.com/watch?v=mfgi2fXzwK0
【ダイジェスト】想田和弘氏観察映画に描かれた日本とアメリカの今とこれから(videonewscom)https://www.youtube.com/watch?v=2W-RSh0-qRw

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