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No.73新着 撮影・照明・録音の仕事 画と音をつくる技師たち

日本では撮影、照明、録音はそれぞれ技師が責任者となって分担してきた。宮川一夫は『羅生門』で太陽を撮り、『おとうと』で銀残しを使った。木村大作は助手から撮影者になり、監督にもなった。

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登録日時
2026年10月29日 13:38
出典を確かめた日
2026年10月29日
分野
映画の作り方
立場
事実・データ
タグ
邦画新着脚本・撮影・音楽新着
作品・人物
宮川一夫、木村大作、黒澤明、溝口健二、市川崑
資料の種類
事典・概説
年代
1950年代、2010年代

本文と出典

あらまし

映画の画と音は、撮影、照明、録音の三つの部署が分担してつくる。日本ではそれぞれの責任者が「技師」と呼ばれ、助手が付く。ここでは三つの部署の役割を整理し、撮影の宮川一夫と木村大作の仕事を、確かめられた範囲で紹介する。

主なできごと

・1931年 日本初のトーキー映画『マダムと女房』が公開され、録音の仕事が生まれる
・1935年 宮川一夫が『お千代傘』で撮影技師としてデビューする
・1950年 宮川一夫が黒澤明の『羅生門』を撮影する
・1953年 宮川一夫が溝口健二の『雨月物語』を撮影する
・1960年 宮川一夫が市川崑の『おとうと』で「銀残し」を使う
・1960年 日本映画撮影監督協会への名称変更が行われたとされる
・1973年 木村大作が撮影者としてデビューしたとされる
・2009年 木村大作が『劔岳 点の記』で監督デビューする
・2012年 富士フイルムが、アーカイブ用を除く映画フィルムの生産中止の方針と報じられる

くわしく 三つの部署の役割

撮影の責任者は撮影技師、キャメラマン、撮影監督などと呼ばれる。撮影技師とキャメラマンは1930年代から長く使われた呼び名で、撮影監督は英語のDirector of Photographyの直訳である。1960年に、米国帰りの三村明が「日本映画撮影監督協会」への名称変更を主導した。この呼び名が広まったのは、1988年の書籍『マスターズ・オブ・ライト』と、1992年のNHKとAFIによる番組『ビジョンズ・オブ・ライト』のあとだという。
米国では撮影監督が構図、カメラの動き、照明、露出まですべて決める。日本では、カメラの角度や構図をカメラマン、明かりを照明技師、露出の測定を撮影助手と、分担してきたとされる。照明技師は、日本では撮影技師と対等の立場にあり、撮影監督の指揮下にはないと、参照した事典は説明する。
録音技師は、トーキーの時代に生まれた職である。日本初のトーキー『マダムと女房』(1931年)では、「録音技師」ではなく「音響記録」と書かれていた。日本の録音技師は、米国では別々の人が担当する現場録音、音の編集、音響設計などを一人で兼ねることが多いという。撮影後の仕上げは、整音技師に任せることが増えている。

くわしく 宮川一夫の仕事

宮川一夫は1908年に京都に生まれた。18歳ごろ日活京都撮影所の現像部の助手になり、のちに撮影部へ移った。1935年の『お千代傘』で撮影技師としてデビューし、大映京都撮影所を中心に働いた。1970年にフリーになり、1999年に91歳で亡くなった。
『羅生門』(1950年)では、太陽にカメラを向けて撮ったことが知られている。当時はタブーとされた撮り方で、黒澤明が高く評価したと、参照した事典は記す。『雨月物語』(1953年)は溝口健二の作品で、芸術祭文部大臣賞を受けた。受賞年は事典の中で1953年と1954年の記述が分かれており、ここでは確定しない。
「銀残し」は、市川崑の『おとうと』(1960年)のために開発された。色をつける現像の際に銀を残して、大正時代の雰囲気を出したという。参照した事典はこの技法が後に世界の映画で広く使われたと書くが、この記述の出典は確かめられていない。事典自体も出典の不足を示している。

くわしく 木村大作の仕事

木村大作は1939年に東京で生まれ、1958年に東宝の撮影部に入って助手を務めた。黒澤明の組にも付いた。撮影者としてのデビューは1973年だとされる。森谷司郎や岡本喜八の作品を多く撮り、高倉健の主演作を9本撮影した。自分では「撮影者」を名乗り、「撮影監督」という呼び名を好まないと、事典は書いている。
2009年に『劔岳 点の記』で監督デビューし、第33回日本アカデミー賞の最優秀監督賞を受けた。2003年に紫綬褒章、2010年に旭日小綬章、2020年に文化功労者となった。撮影技師で文化功労者となったのは初めてだという。

くわしく フィルムからデジタルへ

映画のフィルムは、撮影の現場だけでなく映画館のスクリーンからも姿を消しはじめた。国立映画アーカイブは、富士フイルムが撮影用と上映用のフィルムの販売を2013年に終了したと説明する。一方、2012年9月にシネマトゥデイは、富士フイルムがアーカイブ用を除く映画フィルムの生産を中止する方針だと伝えている。販売終了と生産中止の言い方の違いはあるが、2012〜2013年に撮影用フィルムの流れが大きく変わったことは確かだと考えられる。
デジタルの撮影では、フィルムの感度や現像の工程に縛られなくなる。ただし、本稿の出典では、デジタルカメラの導入が撮影、照明、録音の仕事を具体的にどう変えたかまでは確かめられなかった。

なぜ今も語られるのか

宮川一夫が太陽を撮り、木村大作が山へ向かったように、日本の撮影の話は、機材よりも、どこにカメラを向けるかという判断の話として語られることが多い。技術が変わっても、画をつくる人の判断が作品の印象を決める点は変わらないと考えられる。

評価の分かれる点

撮影と照明の分担は、日本の現場の特徴として語られるが、実際の分担は現場や時代で違った。「撮影監督」の呼び名についても、木村大作のように好まない人がいる。

くらさんの考察

画と音の仕事は、観客が気づかないほど成功とされることが多い。そのため、受賞歴や技法の名前が、仕事の存在を知る入り口になっていると考えられる。

ジージへの問いかけ

・映画の「画」が印象に残っている作品は何ですか。誰が撮ったか調べてみたことはありますか。
・フィルムの映画とデジタルの映画を見比べて、見え方の違いを感じたことはありますか。

出典

・宮川一夫(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/宮川一夫
・木村大作(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/木村大作
・撮影監督(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/撮影監督
・照明技師(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/照明技師
・録音技師(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/録音技師
・富士フイルム、映画フィルムを生産中止へ(シネマトゥデイ、2012年9月12日) https://www.cinematoday.jp/news/N0045947
・映画保存とフィルムアーカイブの活動の現状に関するQ&A(国立映画アーカイブ) https://www.nfaj.go.jp/research/filmbunka/

動画

・日本映画大学|映画キャメラマン(撮影監督)の仕事とは!?(日本映画大学 / NihonEigaDaigaku)https://www.youtube.com/watch?v=fi4gMjfPDeg

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