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No.108新着 笠智衆と、小津映画の俳優たち 日本の父親像をつくった顔ぶれ

笠智衆(1904〜1993)は、1925年に松竹の研究生となり、10年以上の端役を経て、小津安二郎作品で父親役を重ねた。『東京物語』の平山周吉、『男はつらいよ』の御前様まで、小津映画の俳優たちとともにたどる。

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登録日時
2026年10月29日 13:38
出典を確かめた日
2026年10月29日
分野
俳優と監督
立場
くらさんの考察
タグ
邦画新着男優新着松竹新着
作品・人物
笠智衆、小津安二郎、原節子、東山千栄子、岩下志麻、松竹
資料の種類
事典・概説
年代
1925年〜1992年

本文と出典

あらまし

笠智衆は1904年5月13日に熊本県で生まれ、1993年3月16日に88歳で亡くなった。1925年2月に松竹蒲田撮影所の第一期研究生募集に合格し、10年以上、通行人などの端役を演じた。ウィキペディアによれば、本人は当初、映画俳優になることを本意としていなかったという。のちに小津安二郎の作品で父親役を重ね、「日本の父親像」を確立したと評された。

主なできごと

・1925年 松竹蒲田撮影所の研究生に合格
・1936年 小津安二郎『大学よいとこ』。出世作
・1942年 『父ありき』。小津作品で初主演
・1949年 『晩春』。原節子の父、曾宮周吉の役
・1953年 『東京物語』。平山周吉の役
・1962年 『秋刀魚の味』。岩下志麻の父、平山周平の役
・1969年 『男はつらいよ』シリーズに御前様として出演
・1992年 第45作『男はつらいよ 寅次郎の青春』。遺作

端役から小津作品へ

最初の10年あまりは、大部屋俳優として端役が続いた。熊本の強い訛りがあり、デビュー当初は出世の障害になったとされる。1928年の『若人の夢』は小津作品で、端役の出演だった。1936年の『大学よいとこ』で主演級の天野役を得て、出世作となった。1942年の『父ありき』は堀川周平役で、小津作品で初めての主演である。

戦後の小津映画

戦後の小津作品には全作に出たとされる。『晩春』では原節子の父の曾宮周吉、『宗方姉妹』では宗方忠親、『麦秋』では康一、『東京物語』では平山周吉を演じた。『早春』の小野田喜一、『東京暮色』の杉山周吉、『お早よう』の林敬太郎、『秋日和』の三輪周吉、『秋刀魚の味』の平山周平と続く。同じ俳優が、作品ごとに違う名前の父、あるいは別の立場の男を演じている。
『東京物語』では、東山千栄子(15歳年上)と夫婦を演じ、老け役として評価された。ほかにも、杉村春子、山村聰らの父親役を務めた。

ほかの俳優たち

小津作品を支えた俳優として、今回確かめられたのは、原節子、東山千栄子、杉村春子、山村聰、岩下志麻、菅井一郎である。原節子は『晩春』『麦秋』『東京物語』で紀子を演じ、岩下志麻は『秋刀魚の味』で娘役に当たる。それぞれの出演作は、ウィキペディアの各人物の項で確かめる必要がある。この記事で細かい役を述べるのは、笠智衆の項で確認できたものに限った。

受賞と顕彰

1987年に菊池寛賞と山路ふみ子映画功労賞を受け、1988年には東京都文化賞、1990年に川喜多賞、同じ年に熊本県近代文化功労者となった。1991年には毎日映画コンクールの特別賞、1994年にはエランドール賞特別賞も受けている。長い年月を支えた俳優として、受賞は晩年に集中した。

演技の特徴

本人は、泣く演技を自分からは拒む傾向があった。明治生まれの男は泣くことがめったにないから、というのが理由だったという。『晩春』では、林檎の皮をむいてから慟哭する場面を「できません」と断り、うなだれる演出に変わった。初めて本格的に泣いたのは、1983年のテレビドラマ『波の盆』とされる。熊本の訛りは生涯残り、実直で素朴な持ち味を引き出したとも言われる。

テレビと郷里

映画のほかに、テレビドラマにも多く出た。NHKの連続テレビ小説『たまゆら』(1965年〜1966年)では主演し、『波の盆』(1983年)や『今朝の秋』(1987年)にも出ている。生涯で約90本のドラマに出たとされる。没後30年の2023年には、郷里の玉名市で企画展が開かれた。長男の笠徹は東宝の社員で、孫の笠兼三も俳優である。

男はつらいよと晩年

1969年から始まった『男はつらいよ』には、柴又帝釈天の御前様として出た。1990年代以降は、若い女性層から「優しいおじいさん」として人気を集めたという。1992年の第45作が遺作になった。受賞は、毎日映画コンクールの男優演技賞(1949年、1952年)、紫綬褒章(1967年)、菊池寛賞(1987年)、日本アカデミー賞会長特別賞(1994年)などがある。

評価の分かれる点

小津作品への出演の多さから、「日本の父親像」を確立したと評された。反面、役の幅が狭いという見方も成り立つ。ウィキペディアは、熊本訛りが戦後は小津以外の多くの有名監督の作品にも出られた要因とされると書いているが、訛りが障害だったのか持ち味だったのかは、時期で見方が変わる。

くらさんの考察

小津が俳優にほとんど同じような感情の抑え方を求めたとすれば、笠智衆の「泣かない」姿勢が相性よく働いたと考えられる。だが、監督の側がどこまで指示し、俳優がどこまで自分の流儀を通したかは、今回の資料では分からない。『晩春』の例は、俳優が断った演出が採用された珍しい記録として読める。

ジージへの問いかけ

・『東京物語』を最初に見たとき、笠智衆の演技をどう感じましたか。
・御前様としての笠智衆と、小津映画の笠智衆は、同じ人に見えましたか。
・「日本の父親像」という言葉に、違和感はありますか。

出典

・ウィキペディア「笠智衆」 https://ja.wikipedia.org/wiki/笠智衆

動画

・小津安二郎監督作品の独特なテンポの会話 | 秋刀魚の味 | Netflix Japan(Netflix Japan)https://www.youtube.com/watch?v=Fs2GosfF5No

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