No.76新着 配給と宣伝 映画を観客に届ける仕事と、ブロックブッキングの時代
配給会社は買い付け、宣伝、上映用素材の供給、映画館との契約を担う。かつての日本はブロックブッキングが主流で、1980年代にミニシアターが単館での公開を広げた。
本文と出典
あらまし
映画は作っただけでは観客に届かない。作品を映画館に貸し出し、宣伝し、上映の条件を決める仕事が配給と宣伝である。日本では、かつて大手の映画会社が製作、配給、興行を一貫して握っていた。ここでは、配給会社の仕事と、その仕組みの移り変わりを整理する。
主なできごと
・1950年 公正取引委員会が、ブロックブッキングに違反の審決を出す
・1951年9月 常設館のうち、配給三社の直営館は5.1%、系列を含む会社経営は26.9%、個人経営は68.0%だった
・1968年 岩波ホールが開館する
・1974年 岩波ホールが、日本未公開の良作を単館で紹介する「エキプ・ド・シネマ」を始める
・1981年12月 シネマスクエアとうきゅうが開館し、「ミニシアター」の呼び名が広がる
・1982年 ユーロスペースが開館する
・1989年 『ニュー・シネマ・パラダイス』がシネスイッチ銀座で約40週のロングラン
・2020年 ミニシアター・エイドに約3億1000万円の寄付が集まる
くわしく 配給会社の仕事
参照した事典によると、配給会社の仕事は大きく四つある。
一つめは買い付けである。外国作品では、映画祭や見本市に人を送り、権利者と交渉する。劇場公開の権利だけを買うことも、テレビ放映やビデオ化も含む権利を買うこともある。
二つめは宣伝である。宣伝部門を持たない会社は、宣伝会社に委託する。予告編の配送や、日本で特有の前売券の作成と販売管理も、配給会社が担う。
三つめは上映用の素材の供給である。最初の完成品を受け取り、上映用に複製する。外国作品は、字幕や吹替版も作る。日本では、映倫への審査申請は、国内作品は製作者側が、外国作品は配給会社が行う。
四つめは映画館との契約、つまりブッキングである。上映館を決め、プリント数を決める。公開後は、入場者数や興行収入の報告を集計する。
くわしく 予告編と試写会
予告編には、映画館やインターネットで流す2〜3分のものと、テレビ用の15秒または30秒のものがある。撮影の前後に、本編の素材がまだ揃わない段階で作る「特報」と区別される。予告編は映倫で独立した作品として審査され、本編がR18+でも、予告編は一般向けの基準が適用される。
試写会には、評論家や記者を招く試写と、一般の観客を招く試写がある。参照した事典によれば、1990年代まで、評論家は銀座や築地の映画会社の試写室を回っていた。2000年代ごろから、DVDを送って自宅で見てもらう形が増えたとされる。一般向けの試写会は、口コミを狙うもので、2008年公開の『おくりびと』は半年以上前から試写を重ねたとされる。
くわしく ブロックブッキング
ブロックブッキングは、配給側が映画館に複数作品をまとめて予約させる契約である。国立映画アーカイブの展覧会「日本の映画館」(2022年4月12日〜7月17日)の紹介では、シネコンが普及するまで日本の映画産業の主流だったと説明されている。各地に「地名+映画会社名」の映画館があったのは、この仕組みの名残である。
米国では、1938年に司法省が独占禁止法違反として提訴し、10年後に最高裁が違反を認めて禁止した。日本では、1950年に公正取引委員会が違反の審決を出し、作品ごとに選べる「フリーブッキング」が求められた。ただし、月最大5本単位のまとめ売りは認められた。そのため、米国のように垂直統合が急に崩れることはなかったと、マネー現代の記事は論じる。審決を受けて、個人経営の映画館が二本立てを増やしたともいう。1950年代には映画館の8割が赤字だったとされる。
くわしく ミニシアターと単館系の配給
1980年代に、大手の系列にない単館の映画館が広がった。1981年開館のシネマスクエアとうきゅうは、企業が手がけた最初のミニシアターとされる。1985年にはシネヴィヴァン六本木が『ミツバチのささやき』を、ユーロスペースが常設館になって『ヴィデオドローム』を上映した。1987年のユーロスペースでは、『ゆきゆきて、神軍』が26週間続いた。
単館系の配給は、作品ごとに映画館と契約するフリーブッキング制だった。2000年代にシネコンが普及すると、ミニシアターとシネコンで同時に公開されるようになり、ミニシアター独自の熱気は薄れたと、事典は書く。2010年ごろから閉館が相次いだ。
なぜ今も語られるのか
映画館の系列と配給の仕組みを知ると、日本の映画館の街の風景がなぜああだったのかが分かる。「東映」「松竹」と付いた映画館が各地にあったのは偶然ではない。
評価の分かれる点
ブロックブッキングの評価は分かれる。映画館の作品選択の自由を奪うという批判がある一方、製作と興行を結ぶ量産体制を支えたという見方がある。ここでは断定しない。
くらさんの考察
ミニシアターが、大手の系列と違う道で作品を届ける役目を果たしたことは、1980年代の外国映画の紹介の広がりと重なっていると考えられる。ただし、この因果は本稿の出典では確かめていない。
ジージへの問いかけ
・昔通った映画館は、どの映画会社の作品が中心でしたか。二本立ての思い出はありますか。
・試写会や前売券で映画を観た経験はありますか。
出典
・映画配給会社(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/映画配給会社
・ミニシアター(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/ミニシアター
・予告編(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/予告編
・試写会(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/試写会
・「日本の映画館」展の紹介(国立映画アーカイブ展覧会、全国美術館会議サイト) https://www.museum.or.jp/report/106792
・「東宝」「東映」に「大映」が負けたのはなぜか(マネー現代、2022年11月3日) https://gendai.media/articles/-/101637
動画
・【映画宣伝プロデューサーが語る 映画の予告編】たとえ1分でも予告編も作品!!(シネマサロン 映画業界ヒットの裏側)https://www.youtube.com/watch?v=J6jXaNUXXAE
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