映画館このタグの資料 10 本

  1. フィルムからデジタルへ 撮影と上映の変化と、フィルムを残すということ新着No.78

    映画館は2010年代初めにフィルム映写機からDCPというデジタル上映に移った。国立映画アーカイブは、デジタル保存には費用と消失の危険があるとして、フィルム原版を残す立場を取っている。

  2. 配給と宣伝 映画を観客に届ける仕事と、ブロックブッキングの時代新着No.76

    配給会社は買い付け、宣伝、上映用素材の供給、映画館との契約を担う。かつての日本はブロックブッキングが主流で、1980年代にミニシアターが単館での公開を広げた。

  3. 日本の映画興行の数字 ピークの1958年と現在新着No.59

    映連の統計では、年間入場者数のピークは1958年の約11億2,745万人で、2025年は約1億8,876万人にあたる。興行収入の歴代ランキングは、配給収入と興行収入が混ざるため、単純には比べられない。

  4. 映画館の移り変わり 封切館からシネコンまで新着No.58

    日本のスクリーン数は1960年の7,457をピークに減り、1993年に1,734まで落ちたあと、シネコンの登場で増えた。2025年は3,697で、うちシネコンが3,305である。

  5. 松竹 蒲田から大船へ、歌舞伎の会社が作った映画新着No.52

    松竹は歌舞伎などの興行から出発し、1920年に映画製作を始めた会社である。蒲田、大船の撮影所から多くの監督を出したが、2000年に大船撮影所を閉じた。今は歌舞伎興行と映画の配給・興行を柱にしている。

  6. 東宝 劇場から出発し、特撮とアニメで続く会社新着No.51

    東宝は映画会社として生まれたのではなく、東京宝塚劇場という興行会社として1932年に始まった。写真化学研究所(PCL)などと一緒になって製作・配給・興行を一社で行う形ができ、特撮、喜劇シリーズ、アニメ配給で時代ごとに稼ぎ方を変えてきた。

  7. 2000年以降の映画 シネコンと製作委員会、コロナ禍を越えて最高の年へ新着No.7

    2000年以降はシネコンが主流になり、製作委員会方式とアニメ映画の大ヒットが興行を支えた。2020年にコロナ禍で入場者が1億610万人台まで落ち、2025年に映連の統計で興行収入が2,744億円と最高になった。2026年の上半期は、ディズニーの洋画と『名探偵コナン』がけん引している。

  8. 1990年代の映画 低迷の底でシネコンが来て、もののけ姫が記録を作った新着No.6

    1990年代前半は入場者とスクリーン数が最低水準まで落ち、日活が会社更生法を申請した。1993年のシネコン登場から潮目が変わり、1997年の『もののけ姫』が配給収入117億6,000万円で邦画の記録を作った。

  9. 1980年代の映画 角川商法とビデオ、そしてナウシカ新着No.5

    1980年代は角川映画のアイドル路線、レンタルビデオの正式な広がり、アニメ映画の台頭、ミニシアターの誕生が重なった。『風の谷のナウシカ』(1984年)の成功からスタジオジブリが1985年に生まれた。

  10. 大正までの映画 活動写真が町に来て、弁士が語った新着No.1

    日本の映画は1896年の神戸と1897年の大阪の上映から始まり、日本人の撮影、専用の小屋、弁士、旧劇のスターと育った。大正に入ると舞台劇に近い映画を作り替える純映画劇運動が起き、1923年の関東大震災で東京の撮影所が打撃を受けた。

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