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No.113新着 溝口健二 一場面を長い一カットで撮った女性映画の巨匠

溝口健二は1923年に監督になり、1950年代にヴェネツィアで3年連続の受賞を果たした。長回しを多用する作風で、フランスの批評家にも高く評価された。

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登録日時
2026年10月29日 13:38
出典を確かめた日
2026年10月29日
分野
俳優と監督
立場
くらさんの考察
タグ
邦画新着監督新着女優新着海外とのつながり新着
作品・人物
溝口健二、田中絹代、依田義賢、宮川一夫、日活
資料の種類
事典・概説
年代
1923年、1950年代

本文と出典

あらまし

溝口健二(1898〜1956)は、女性の生き方を主題にした作品で知られる映画監督である。
一つの場面を長い一カットで撮る長回しと、カメラを大きく動かす撮影を特徴とした。
晩年の3作は、ヴェネツィア国際映画祭で3年続けて賞を受けた。

主なできごと

・1898年 5月16日に東京で生まれる
・1920年 日活向島撮影所に入る
・1923年 『愛に甦る日』で監督デビュー
・1936年 『浪華悲歌』『祇園の姉妹』
・1939年 『残菊物語』
・1952年 『西鶴一代女』。ヴェネツィアで国際賞
・1953年 『雨月物語』。ヴェネツィアで銀獅子賞
・1954年 『山椒大夫』。ヴェネツィアで銀獅子賞。同年『近松物語』
・1956年 『赤線地帯』が完成した最後の作品になる。8月24日に京都で死去

くわしく 長い道のり

溝口は1920年に日活の撮影所へ入り、1923年に監督になった。
1936年の『浪華悲歌』と『祇園の姉妹』は、のちに代表作として挙げられることが多い。
戦前の作品として『残菊物語』(1939年)がある。
戦後は、1952年の『西鶴一代女』から国際的な評価が高まった。
同作はヴェネツィアで国際賞を受け、翌年の『雨月物語』と翌々年の『山椒大夫』は銀獅子賞を受けた。
3年続けての受賞である。

くわしく 仲間たち

脚本の依田義賢は、『浪華悲歌』から約23本で溝口と組んだ。
撮影の宮川一夫は約8本を撮っている。
田中絹代は、1940年の『浪花女』に主演し、その後、『西鶴一代女』を含む晩年の主演格として欠かせない存在になった。
同じ書き手、同じ撮影者、同じ主演俳優の顔ぶれが、長回しという難しい撮り方を支えたと考えられる。

くわしく 戦前の傑作と戦後の再出発

溝口の戦前の代表作として挙げられる『浪華悲歌』(1936年)と『祇園の姉妹』(1936年)は、同じ年に公開されている。
どちらも、貧しさや身分の制約の中で生きる女性が主人公である。
続く『残菊物語』(1939年)は、歌舞伎の世界を舞台にした作品として知られる。
戦後の溝口は、1952年の『西鶴一代女』で、再び大きな注目を集めた。
翌1953年の『雨月物語』、1954年の『山椒大夫』と『近松物語』が続く。
古典文学や歴史上の物語を原作に取ることが多くなり、時代劇の形をとりながら、女性の運命を中心に据える方針は変わらなかった。
1956年の『赤線地帯』が、完成した最後の作品である。
溝口は1956年8月24日に京都で亡くなった。
58歳だった。
ヴェネツィアでの3年連続の受賞は、死去の2年前に終わったことになる。

くわしく 国際的な評価の広がり

ヴェネツィアの3年連続の受賞は、溝口の存命中のできごとである。
一方、フランスの批評家による評価は、死去後も続いた。
『カイエ・デュ・シネマ』が『雨月物語』を1位に挙げたのは1959年、『山椒大夫』は1960年で、溝口の死去から数年後である。
つまり、国内外の評価が、没後にさらに積み上がっていったことになる。
『雨月物語』と『山椒大夫』は、いずれも古い時代の物語を原作に取っている。
『山椒大夫』の終わり方については、ゴダールが『軽蔑』で踏まえたとされる。
それでも、のちの映画人が自作で引用するほど強い印象を残したのは、物語の古さよりも映像の語り方が評価されたためだと考えられる。

なぜ今も語られるのか

溝口の映画は、社会のなかで弱い立場に置かれた女性を中心に据えている。
その視点が、後の観客にとって今も読み直しやすいからだと考えられる。
フランスでは、映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』の批評家たちが溝口を高く評価した。
ジャン=リュック・ゴダール、ジャック・リヴェット、エリック・ロメールらである。
同誌の年間ベストでは、『雨月物語』が1959年に、『山椒大夫』が1960年に1位となったと記されている。
ゴダールが『軽蔑』(1963年)で、『山椒大夫』の終わり方を踏まえた場面を撮ったとも言われる。

評価の分かれる点

溝口の女性の描き方は、女性への共感として読まれる一方で、苦しむ女性を美しく撮ることへの疑問も出される。
この見方の違いは今も続いており、どちらかに決めることは難しい。

くらさんの考察

溝口は完成した作品のうえでは最後が『赤線地帯』だった。
白血病で入院するまで次の企画『大阪物語』の準備をしていたと記録されている。
一つの場面を切らずに通す撮り方は、俳優の演技が崩れれば全体をやり直すことになる。
俳優と撮影者の信頼がなければ成り立たない方法だと考えられる。

ジージへの問いかけ

・溝口作品を観たのは、リバイバルの上映でしたか、それともテレビでしたか。
・田中絹代の演技で印象に残っている場面はありますか。
・長い一カットの映画は、観ていて疲れたと思いますか、それとも引き込まれたと思いますか。

出典

・ウィキペディア「溝口健二」 https://ja.wikipedia.org/wiki/溝口健二

動画

・【大映4K映画祭/雨月物語】特別映像(KADOKAWA映画)https://www.youtube.com/watch?v=-Jz4grZPstA

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