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No.4新着 1960〜70年代の映画 観客が減り、五社が崩れ、新しい作り手が出た

映連の統計では、入場者は1960年の約10億人から1970年代末の約1億6,500万人まで落ちた。五社の体制は大映の倒産と日活のロマンポルノ転換で崩れ、東映の実録路線やATG、角川映画が新しい流れを作った。

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登録日時
2026年10月29日 13:38
出典を確かめた日
2026年10月29日
分野
1960〜70年代
立場
くらさんの考察
タグ
邦画新着東映新着日活・大映新着数字・統計新着監督新着
作品・人物
深作欣二、笠原和夫、山田洋次、日活ロマンポルノ、ATG、角川春樹
資料の種類
事典・概説
年代
1960年代、1970年代

本文と出典

あらまし

1960年代から70年代は、日本映画の観客が急に減った時期である。映連の統計では、入場者は1960年の約10億1,400万人から1979年の約1億6,500万人になった。五社の体制は崩れ、倒産と路線転換が続いた。その中で、任侠から実録へ移った東映、低予算で若い監督を使ったATGと日活、映画を出版・音楽と組み合わせた角川映画が現れた。

主なできごと

・1961年 新東宝が倒産。11月15日に日本アート・シアター・ギルド(ATG)が設立
・1963年 沢島忠『人生劇場 飛車角』が任侠映画の開祖とされる
・1969年 山田洋次『男はつらいよ』のシリーズが始まる
・1971年 大映が11月に業務を停止し12月に破産宣告。日活は11月に日活ロマンポルノを始める。五社協定の専属制が事実上なくなる
・1973年 1月13日、深作欣二『仁義なき戦い』公開。東宝『日本沈没』が配給収入20億円超
・1974年 大映が徳間書店の傘下で再建される
・1975年 邦画の配給収入のシェアが44.4%となり、初めて洋画を下回る
・1976年 角川映画の第1作『犬神家の一族』

くわしく

観客と映画館の数字

映連のデータ(1955年から)で見ると、入場者は1960年の約10億1,400万人から、1965年に約3億7,300万人、1970年に約2億5,500万人、1975年に約1億7,400万人となった。1972年には2億人を割っている。スクリーン数は1960年の7,457から1970年の3,246、1975年の2,443へ減り、1960年代だけで半分近くが消えた。一方、同じ表の興行収入の欄は1960年の約728億円から1979年の約1,582億円へ増えている。入場者が減っても金額が増えたのは、料金の値上がりが背景にあると考えられる。

五社の崩れ

五社協定は、1950年代後半から各社がテレビへの劇映画提供や出演を制限する手段にもなった。1960年代以降に産業全体が傾き、1971年に日活は一般映画から撤退し、東宝は専属俳優を解雇し、大映も経営破綻して、専属制と協定は事実上消えた。大映は1971年11月に従業員への解雇通告と業務停止、12月に破産宣告を受け、1974年9月に徳間書店傘下で再建された。

東映の任侠から実録へ

東映は1963年の『人生劇場 飛車角』をきっかけに任侠映画を量産し、1966年には『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』が作られた。1973年の『仁義なき戦い』は、監督が深作欣二、脚本が笠原和夫で、広島の元ヤクザの獄中手記をもとにした飯干晃一のノンフィクションが原作である。ヤクザを美化せず、金に汚い現実の姿と殺伐とした暴力を描き、実在の抗争を題材にした「実録路線」の先駆けとなった。本編は全5作。

日活ロマンポルノとATG

日活は1971年に経営難のなか、低予算で作れる成人映画の路線として日活ロマンポルノを始めた。1本70分前後、性的な場面を入れるという枠を守れば、監督には大きな自由があったとされる。神代辰巳や、のちの根岸吉太郎、金子修介らがこの場から育った。路線は1988年4月に終了が発表され、同年6月に閉じた。ATGは1961年設立で、最初は外国の芸術映画を配給した。1967年から日本の作品に出資し、「1000万円映画」と呼ばれる低予算作を作った。1979年からは若い監督を迎え、森田芳光『家族ゲーム』のようなヒットも出したが、1992年に活動を止めた。

角川映画の前夜

1973年の『日本沈没』が配給収入20億円を超え、1975年には邦画が洋画に逆転された。そうした中で、角川書店の角川春樹が書籍の販売促進のために映画製作に乗り出し、1976年に横溝正史原作の『犬神家の一族』を公開した。映画・出版・音楽を組み合わせる手法は、のちに「角川商法」と呼ばれた。

なぜ起きたのか

観客の減少の理由は、一つには決められない。テレビの普及は有力な要因と考えられるが、普及の数字は「受信可能世帯」「受信契約数」など指標によって異なり、ここでは確かめた数字を挙げない。映画館の数が半分近くになった1960年代の数字が、減少の速さを示している。

評価の分かれる点

日活ロマンポルノは、映画人を育てた場として評価する見方と、成人向けの量産という性格を重く見る見方がある。『仁義なき戦い』は、キネマ旬報の1999年の日本映画ベスト100で8位、2009年の日本映画遺産200で5位と評価が高い一方、暴力表現をどう見るかは受け手で分かれる。

くらさんの考察

この時期の映画界は、「大きな会社が決まった型を量産する」やり方が観客の減少に追いつかなくなった過程と読める。低予算で作る日活やATG、他の産業と組む角川映画は、それぞれ別の答えを出した。のちの製作委員会方式の発想も、ここに源があると考えられる。

ジージへの問いかけ

・ジージの町の映画館が閉まったのは、何年ごろでしたか。
・東映の任侠映画と『仁義なき戦い』を、当時どう見ていましたか。
・ロマンポルノやATGの映画を映画館で見たことはありますか。

出典

・映連「日本の映画産業データ(1955〜2025年)」 https://www.eiren.org/toukei/data.html
・ウィキペディア「日本映画」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%98%A0%E7%94%BB
・ウィキペディア「五社協定」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%A4%BE%E5%8D%94%E5%AE%9A
・ウィキペディア「大映」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%98%A0
・ウィキペディア「日活」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B4%BB
・ウィキペディア「日活ロマンポルノ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B4%BB%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%8E
・ウィキペディア「アート・シアター・ギルド」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%89
・ウィキペディア「仁義なき戦い」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E7%BE%A9%E3%81%AA%E3%81%8D%E6%88%A6%E3%81%84
・ウィキペディア「角川映画」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%98%A0%E7%94%BB

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