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No.55新着 大映と新東宝 倒産した二社と、その後の行方

大映は1942年の戦時統合で生まれ、永田雅一の下で『羅生門』などを世に出したが、1971年に破産した。新東宝は東宝争議から1947年に生まれ、1961年に倒産した。大映の名は徳間書店を経て、2002年に角川書店へ引き継がれた。

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登録日時
2026年10月29日 13:38
出典を確かめた日
2026年10月29日
分野
映画会社と業界
立場
くらさんの考察
タグ
邦画新着日活・大映新着東宝新着
作品・人物
永田雅一、羅生門、雨月物語、大蔵貢、角川書店
資料の種類
事典・概説
年代
1947年、1961年、1971年、2002年

本文と出典

あらまし

大映と新東宝は、どちらも1960年代までに映画の最前線から消えた会社である。大映は1942年に新興キネマ、大都映画、日活の製作部門などを統合して生まれた。新東宝は1947年に、東宝の撮影所を使って始まった。

主なできごと

・1942年 1月27日、大日本映画製作株式会社(大映)が発足
・1947年 永田雅一が大映の社長に昇格。3月、新東宝映画製作所が発足
・1951年 『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭でグランプリ
・1953年 大映の『雨月物語』が銀獅子賞
・1961年 8月、新東宝が倒産
・1970年 大映と日活がダイニチ映配を設立。同年中に日活が離脱
・1971年 12月、大映が不渡手形を出して破産宣告
・1974年 徳間書店傘下で大映映画株式会社が設立
・2002年 徳間書店が角川書店に大映の映画事業を売却

大映

大映は1943年に菊池寛が初代社長となり、1947年に副社長の永田雅一が社長に昇った。永田時代は長谷川一夫を看板に、京マチ子、山本富士子、若尾文子、市川雷蔵らを育てたとされる。1950年の『羅生門』は1951年のヴェネツィア国際映画祭でグランプリを受け、1952年にはアカデミー賞も受けた。1960年代は『大怪獣ガメラ』やテレビの『ザ・ガードマン』で成果を上げたが、看板スターの退社や解雇が続いて経営が悪化した。1971年に本社ビルを売り、12月に不渡手形を出して破産宣告を受けた。

大映のその後

1974年に労働組合が徳間書店と再建で合意し、徳間書店傘下の大映映画が設立された。1986年に京都の撮影所を閉鎖している。2002年に徳間書店が映画事業を角川書店に売却し、同年11月に角川大映映画が営業権と従業員を引き継いだ。2003年に大映の法人は解散した。名前が消えた後も、作品の権利は角川の側に残ったことになる。

新東宝

1947年3月、東宝の撮影所で新東宝映画製作所が生まれた。東宝の労働争議で組合を離れた俳優が中心だった。1948年4月に新東宝株式会社となり、東宝が配給した。1950年には自前の配給を始め、1953年の『戦艦大和』のヒットから戦争映画が続いた。1955年末には映画館主の大蔵貢が社長となり、安く早く当てる路線を取った。1957年の『明治天皇と日露大戦争』は大きなヒットとなった。初期は『西鶴一代女』のように文芸色が強く、ヴェネツィア国際映画祭で賞を受けたが、後期はエログロ路線へ寄ったとされる。1960年に大蔵が辞任し、1961年8月に倒産した。その年の7月には約554本の放送権がNHKと民放に売られている。
新東宝の作品の権利は国際放映が引き継ぎ、同社は後に東宝グループに入った。

なぜ消えたのか

二社の倒産の年は10年離れている。新東宝は1961年8月、大映は1971年12月で、その間にテレビの普及が進んだ。
大映は看板スターの流出と、日活との配給統合の失敗が重なった。新東宝は看板の監督や俳優が抜けたあとで興行が落ちた。どちらも、テレビの普及で映画の観客が減る時期に、撮影所と専属俳優を抱えた体制を続けられなかった点が共通すると考えられる。

大映の晩年と、新東宝の別れ道

大映は、1977年から1986年にかけて事業の分社化が進み、1986年に京都の撮影所を閉鎖した。1980年代後半から1990年代には『敦煌』『おろしや国酔夢譚』などの大作路線を進めたが、借入金の増加とバブル崩壊で経営の負担が膨らんだ。
新東宝は、1949年に東宝が提携を終わらせようとしたとき、自前の配給を宣言して『私刑 リンチ』を出そうとしたが、東宝が差し止めを得たため、作品は同年12月に東宝を通じて公開された。1950年1月から3月に自前の配給会社を作り、『白昼の決闘』で自主配給を始めている。1958年2月に社名を新東宝株式会社に改めた。1961年8月の倒産後、会社は三つに分かれ、製作会社のNAC(日本アート・フィルム)は1964年に国際放映と改称して作品の権利を引き継いだ。関西の支社が作った別会社の新東宝映画は、ピンク映画と結びつくが、元の新東宝との資本関係はない。

評価の分かれる点

『羅生門』のアカデミー賞の種類や、新東宝後期のエログロ路線の評価は、今回の資料だけでは確かめきれない。何をもって「倒産の原因」とするかも、経営、俳優の流出、テレビの影響で見方が分かれる。

くらさんの考察

二社の最後は、撮影所システムの終わりの早さを示す。一方で、大映の作品群と名前は角川に残り、新東宝の権利も別会社に残った。会社が消えても作品は残る点は覚えておきたい。

ジージへの問いかけ

・大映の時代劇や、ガメラを映画館で見た思い出はありますか。
・新東宝の作品は、どこで見ましたか。

出典

・ウィキペディア「大映」 https://ja.wikipedia.org/wiki/大映
・ウィキペディア「新東宝」 https://ja.wikipedia.org/wiki/新東宝

動画

・【大映4K映画祭/羅生門】特別映像(KADOKAWA映画)https://www.youtube.com/watch?v=CBKSG2pM4K0
・【日本人の5人に1人が観た映画!嵐寛寿郎他新東宝オールスターキャスト出演】明治天皇と日露大戦争 予告編(新東宝【公式】チャンネル)https://www.youtube.com/watch?v=PwJqiY_E3FE

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