No.204新着 成瀬巳喜男 松竹から東宝へ、林芙美子と高峰秀子を撮った職人肌の監督
成瀬巳喜男は松竹の小道具係から出発し、PCLと東宝で林芙美子原作の作品や『浮雲』を撮った監督である。生前は職人として語られがちで、評価が高まったのは海外の特集上映が続いた1980年代以降とされる。小津・溝口との並べ方は評価が分かれる。
本文と出典
あらまし
成瀬巳喜男(1905年8月20日〜1969年7月2日)は、東京・四谷の生まれで、松竹蒲田撮影所の下積みから東宝の監督になった人である。
ウィキペディアによれば、生涯の最後の作品は1967年の『乱れ雲』である。
代表作とされるのは、林芙美子の小説を映画にした『浮雲』(東宝・1955年)で、主演は高峰秀子が務めた。
ただ、国内では長く「達者な職人」と見られ、巨匠の列に加えられたのは後年になってからだという。
同じ「俳優と監督」の分野には、小津安二郎(id 111)、溝口健二(id 113)、高峰秀子(id 102)の記事がある。
この記事は、その三人の陰に置かれがちだった成瀬の経歴と、評価の移り変わりに絞って書く。
主なできごと
・1905年 東京・四谷に生まれる
・1920年 松竹蒲田撮影所に小道具係として入る
・1930年 短編喜劇『チャンバラ夫婦』で監督デビュー
・1934年 PCL(のちの東宝の前身の一つ)に移る
・1935年 PCLで初のトーキー『乙女ごころ三人姉妹』を撮る
・1951年 東宝に復帰し、『めし』を監督する
・1955年 『浮雲』が公開される
・1967年 最後の作品『乱れ雲』
・1969年 直腸がんのため63歳で亡くなる
松竹からPCLへ
成瀬が映画界に入ったのは1920年で、松竹蒲田撮影所の小道具係としてだった。
その後約10年は助監督として働き、1930年に短編喜劇で監督に昇進している。
松竹時代については、所長の城戸四郎が「小津は二人いらない」と言ったという伝説が残る。
ウィキペディアはこれを伝説として紹介しており、事実かどうかは本稿では確かめられていない。
1934年に成瀬はPCLへ移った。PCLはのちの東宝の前身の一つである。
翌1935年にはトーキー第1作『乙女ごころ三人姉妹』を撮り、同じ年の『妻よ薔薇のやうに』は、同じ資料によればキネマ旬報のベスト1に選ばれた。
この作品は1937年にニューヨークで英題「Kimiko」として封切られ、アメリカで興行上映された最初の日本映画になったとされる。
東宝争議のあとと『めし』
戦後、東宝争議で撮影所の機能が止まると、成瀬は山本嘉次郎や黒澤明らと東宝を離れ、映画芸術協会をつくった。
その後はフリーの立場で、東宝、新東宝、松竹、大映などで撮っている。
1951年に東宝へ戻って監督したのが『めし』である。ウィキペディアは、千葉泰樹の降板を受けての起用と記している。
この年の毎日映画コンクールで、成瀬は『めし』により監督賞を受けた。
ブルーリボン賞の監督賞は1952年の『稲妻』などで受けている。
林芙美子の原作と『浮雲』
成瀬には、林芙美子の小説を原作にした作品がまとまってある。ウィキペディアが挙げるのは『稲妻』『妻』『晩菊』『放浪記』である。
『浮雲』も同じ林芙美子の小説による作品だ。
公開は1955年1月15日、東宝の製作・配給で、白黒、124分。脚本は水木洋子、撮影は玉井正夫である。
出演は高峰秀子、森雅之、岡田茉莉子ほか。筋は、戦時中の仏印(インドシナ)で出会った男女が、戦後も離れられずに続く関係を描くものだ。結末には触れない。
企画ははじめ別の会社が映画化を予定していたが実現せず、東宝が映画化権を譲り受けたと資料にある。
この作品は1955年度のキネマ旬報ベスト・テンで日本映画の第1位になり、監督賞と主演の男女優賞も受けた。ブルーリボン賞の作品賞、毎日映画コンクールの日本映画大賞も得ている。
その後のキネマ旬報の歴代ランキングでも上位に入り続け、1999年には2位、2009年には3位という記述がある。
高峰秀子との関わり
ウィキペディアは、高峰秀子が成瀬作品に数多く出たと記すが、本数までは書いていない。
この記事でも、確かめられていない本数は挙げない。
『浮雲』の公開から70年にあたる2025年、東京国際映画祭の上映後トークで、同作に出た岡田茉莉子は、成瀬が普段あまり演技を指導しない人だったと語った(映画.com)。
同じ場で岡田は、高峰が冗談で緊張をほぐしてくれる友人のような人だったとも話している。
現場の空気が分かる証言だが、本人の記憶にもとづく一つの話であり、成瀬の演出全体を代表するとまではいえない。
海外での評価の広がり
国内では「職人」と見られがちだった成瀬の評価が、海外で押し上げられたという見方がある。
ウィキペディアによれば、1983年のロカルノ国際映画祭で特集上映があり、1988年に香港国際映画祭、1998年にサン・セバスティアン国際映画祭でも特集が組まれた。
『カイエ・デュ・シネマ』誌は、日本の巨匠として小津、溝口、黒澤明に次ぐ4番目に成瀬を置いたと同じ資料は記している。
近年では、『浮雲』の4Kデジタルリマスター版が2025年のカンヌ国際映画祭で上映されて高く評価され、フランスでリバイバル公開されたと報じられている(映画.com、ムービーウォーカー)。
2026年の第39回東京国際映画祭では、『女が階段を上る時』(1960年)と『乱れ雲』(1967年)の4Kリマスター版が世界初上映されると発表されている。
なお、ヴェネツィア国際映画祭での受賞は、開いた資料のどこにも記載がなかったため、本稿では書かない。
評価の分かれる点
小津・溝口との並べ方は、論者によって違う。
国内では長く職人として扱われ、「作家」としての評価は後から付いたという記述がある。
一方で、小津安二郎が『浮雲』を高く評価したとも、『浮雲』のウィキペディアは記している。
また、『浮雲』を成瀬の代表作とみなすのは通説だが、ウィキペディアは異論も一部の評者にあると注記している。
「成瀬は小津、溝口と並ぶ三大巨匠か」という問いに、今回開いた資料は答えを出していない。
くらさんの考察
成瀬は松竹で助監督を長く務め、PCLと東宝で撮影所の仕事の型を身につけた人だったと考えられる。
その経歴が、会社の企画に応じて原作物や家庭を描いた作品を撮る仕事ぶりにつながっていたのではないか。
国内の評価が後から高まった背景には、巨匠として前面に出るタイプではなかったことが関わっているかもしれない。
ただし、これは経歴と評価の流れから考えた推測であり、資料に書かれた結論ではない。
ジージへの問いかけ
・『浮雲』を封切りのころ、あるいはテレビや名画座で観た記憶はありますか。当時の評判や観客の空気はどうでしたか。
・成瀬を「職人」と呼ぶ見方と「作家」と呼ぶ見方のうち、どちらがしっくりきますか。
・小津、溝口、成瀬の三人を並べるとしたら、ジージはどんな順や分け方をしますか。
出典
・成瀬巳喜男(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/成瀬巳喜男
・浮雲(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/浮雲_(映画)
・映画.com「東京国際映画祭 浮雲 4Kリマスター上映と岡田茉莉子トーク」(2025年11月1日) https://eiga.com/news/20251101/21/
・ムービーウォーカー「第39回東京国際映画祭で成瀬巳喜男作品の4Kリマスター版」(2026年10月1日) https://press.moviewalker.jp/news/article/1445141/
動画
・『乱れ雲』(1967)予告篇(東宝クラシックス)https://www.youtube.com/watch?v=QY9bnTfiTRA
・Nuages Flottants : bande-annonce(浮雲 4K修復版 フランス公開の予告編)(CarlottaFilms)https://www.youtube.com/watch?v=vrT8ZusdbdM
日本語の要約:成瀬巳喜男『浮雲』の4K修復版が2025年10月15日にフランスで公開されるのに合わせた、配給会社カルロッタ・フィルムズの予告編。
関連動画
日本語の要約(動画の説明文からこのサイトがまとめたもの)
成瀬巳喜男『浮雲』の4K修復版が2025年10月15日にフランスで公開されるのに合わせた、配給会社カルロッタ・フィルムズの予告編。
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