No.35新着 喜劇とシリーズ映画 社長シリーズから男はつらいよまで
東宝は社長シリーズと駅前シリーズで、松竹は男はつらいよで、同じ顔ぶれの続き物を長く売った。それを可能にしたのは、映画会社が上映館まで握る体制と二本立てだった。
本文と出典
あらまし
日本の喜劇映画は、同じ主人公や顔ぶれが何作も続くシリーズで栄えた。続き物は、観客に「また同じ人たちに会える」という安心感を与え、映画会社にとっては収益の見通しを立てやすい。そのシリーズを成り立たせた条件は、作品の面白さだけでなく、興行の仕組みにもあった。
主なできごと
・1956年 東宝の社長シリーズが始まる(1970年まで)
・1958年 駅前シリーズの第1作『駅前旅館』が7月12日に公開
・1962年 植木等主演『ニッポン無責任時代』(東宝、古澤憲吾監督)
・1969年 『男はつらいよ』第1作が8月27日に公開(松竹)。駅前シリーズは2月15日の『喜劇 駅前桟橋』で終わる
・1972年 男はつらいよの「お盆と年末年始の年2回公開」が定着(1985年までの14年間守られた)
・1988年 『釣りバカ日誌』第1作が12月24日に公開
・1995年 男はつらいよ第48作。渥美清が参加した最後の作品
・2009年 『釣りバカ日誌』が第22作で完結
・2019年 男はつらいよ第50作『お帰り 寅さん』が12月27日に公開
東宝の社長シリーズと駅前シリーズ
社長シリーズは、1956年から1970年まで東宝が製作した。森繁久彌が会社社長を演じ、小林桂樹が忠実な秘書を務めた。本数は資料によって数えが違い、ウィキペディアの一覧は33作とする一方、東宝の1969年の宣伝資料は『社長えんま帖』までを30作と数えている。
駅前シリーズは、1958年の『駅前旅館』に始まり、1969年の『喜劇 駅前桟橋』まで24作が作られた。井伏鱒二の小説『駅前旅館』を豊田四郎が映画化したのが出発点で、森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺が主演した。製作は東宝の傍系会社の東京映画、配給は東宝である。森繁は同じ時期に両方のシリーズに出ており、東宝の観客を支えた。
植木等とクレージー映画
植木等は、1962年の『ニッポン無責任時代』で主演し、大ヒットして「無責任」が流行語になった。続編は『ニッポン無責任野郎』。以降のクレージー映画は、日本一シリーズ10本、クレージー作戦シリーズ15本が一覧に載っている。植木は2007年3月27日に80歳で亡くなった。本人の生年月日は、公表されていた1927年2月25日ではなく、実際は1926年12月25日とされる。
男はつらいよ 年2回の公開
『男はつらいよ』の第1作は1969年8月27日に公開された。山田洋次が全作の原作と脚本を担当し、監督は一部を除いて務めた。配給は松竹である。渥美清が出た48作の配給収入は464億3000万円、観客動員は7957万3000人とされ、30作を超えた時点で作品数が世界最長の映画シリーズとしてギネスブックに認定された。
1972年から1985年の14年間は、お盆と年末年始の年2回公開を守った。1995年の第48作が渥美の最後の出演作で、1997年に特別篇(第49作)が公開され、2019年に第1作から50年を記念して第50作が作られた。
『釣りバカ日誌』は、西田敏行と三國連太郎の主演で、第1作が1988年12月24日、最終の第22作『釣りバカ日誌20 ファイナル』が2009年12月26日に公開された。第1作の同時上映は男はつらいよで、終了の理由は主演の二人の高齢化もあったとされる。当初は1作だけで完結する予定だったとも書かれている。
なぜシリーズが成り立ったのか
理由は興行の仕組みにある。1950年代、日本の映画会社は、製作から上映館の確保までを一手に握るブロックブッキングの体制を持っていた。東映の作品は東映直営館と契約館でしか上映されず、東宝や松竹も同様だった。1948年のアメリカのパラマウント判決で同じ形の垂直統合が崩れたのとは対照的に、日本では強固なまま維持された。
上映は二本立てが基本で、1950年代前半に、主に映画館側の強い要望で始まった。毎週新しい番組を差し出すには、固定の人気者による続き物が都合が良い。実際、嵐寛寿郎の『鞍馬天狗』や高倉健の『網走番外地』のように、確実な収益が見込めるスターのシリーズが体制を支えた。その利益で野心的な大作が作られた、と説明される。ただし、この説明にある「番線」という興行系統の細かい仕組みは、今回開いた資料では確かめられなかった。
評価の分かれる点
シリーズの本数は、数え方で変わる。社長シリーズは上のように30作と33作の2通りの数え方があり、男はつらいよも「48作」「49作」「50作」が並んでいる。渥美が出た48作の数字(配給収入464億3000万円、動員7957万3000人)に、1997年の特別篇と2019年の第50作は含まれていない。
くらさんの考察
シリーズが続いたのは、観客の好みだけでなく、毎週の番組を埋める必要があった会社と映画館の事情と噛み合ったからと考えられる。一方で、1980年代以降に続いた男はつらいよと釣りバカ日誌は、ブロックブッキングの体制が緩んだ後も、盆と正月の定番として観客に支えられた例と見られる。
ジージへの問いかけ
・社長シリーズや駅前シリーズを、映画館で見た記憶はありますか。
・盆と正月に男はつらいよを見に行く習慣はありましたか。
・植木等の無責任シリーズは、当時の世の中でどう受け止められていましたか。
出典
・男はつらいよ(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/男はつらいよ
・社長シリーズ(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/社長シリーズ
・駅前シリーズ(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/駅前シリーズ
・釣りバカ日誌(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/釣りバカ日誌
・植木等(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/植木等
・プログラムピクチャー(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/プログラムピクチャー
動画
・映画『男はつらいよ』(第1作)予告編映像/4Kデジタル修復版ブルーレイ2019年12月5日リリース(松竹チャンネル/SHOCHIKUch)https://www.youtube.com/watch?v=KqSw6_wuv3E
・『社長紳士録』(1964)予告篇 /【東宝名画座】で本編配信中(東宝クラシックス)https://www.youtube.com/watch?v=Iq4S1ECnRdI
関連動画
この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが映画QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。