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No.5新着 1980年代の映画 角川商法とビデオ、そしてナウシカ

1980年代は角川映画のアイドル路線、レンタルビデオの正式な広がり、アニメ映画の台頭、ミニシアターの誕生が重なった。『風の谷のナウシカ』(1984年)の成功からスタジオジブリが1985年に生まれた。

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登録日時
2026年10月29日 13:38
出典を確かめた日
2026年10月29日
分野
1980年代
立場
くらさんの考察
タグ
邦画新着アニメ映画新着角川・ジブリ新着映画館新着数字・統計新着
作品・人物
角川春樹、薬師丸ひろ子、宮崎駿、風の谷のナウシカ、スタジオジブリ、伊丹十三
資料の種類
事典・概説
年代
1980年代

本文と出典

あらまし

1980年代の日本映画は、観客の数がほぼ横ばいのなかで、売り方と見せ方が変わった時期である。映連の統計では、入場者は1980年の約1億6,400万人から1989年の約1億4,400万人へ緩やかに減り、スクリーン数も2,364から1,912になった。その中で、映画を出版や音楽と一緒に売る角川映画、家庭で見るレンタルビデオ、都会の小さな映画館、そして長編アニメが並んで動いた。

主なできごと

・1980年 角川映画『復活の日』の配給収入が制作費を回収できず、路線変更の一因となる
・1981年 『セーラー服と機関銃』が配給収入23億円。シネマスクエアとうきゅう(新宿)が開館
・1983年 4月に日本ビデオ協会がレンタルの規則を定める。フジテレビ製作の『南極物語』が邦画の配給収入1位
・1984年 3月11日、『風の谷のナウシカ』公開。伊丹十三が『お葬式』で監督デビュー
・1985年 6月15日、スタジオジブリが会社として設立される
・1986年 8月、ジブリ最初の作品『天空の城ラピュタ』
・1988年 4月16日、『となりのトトロ』と『火垂るの墓』が同時上映
・1989年 『魔女の宅急便』が邦画の配給収入1位。北野武が『その男、凶暴につき』で監督デビュー

くわしく

角川映画とアイドル路線

角川映画は1976年に始まり、テレビCMを大量に流し、角川文庫に映画の割引券を入れ、主題歌のレコードも出す手法を「角川商法」と呼ばれるほど徹底した。1980年の『復活の日』は制作費がかさんで回収できず、以後は制作費を抑えた路線に移った。1981年の『セーラー服と機関銃』は、薬師丸ひろ子主演で配給収入23億円を記録し、主題歌も売れた。1982年のオーディションで渡辺典子と原田知世が出て、「角川3人娘」と呼ばれた。映連の1983年の表では、『探偵物語』と『時をかける少女』の2本立てが配給収入28億円で邦画2位、1984年には『里見八犬伝』が23.2億円で邦画1位となった。1985年に薬師丸ひろ子が独立し、1986年には角川春樹事務所が芸能部門から撤退した。

数字で見る1983年

1983年の邦画1位は『南極物語』で、映連の表では配給収入59億円である。ウィキペディアの「日本映画」の項は56億円と記し、数字が食い違う。この年は洋画の『E.T.』が96億2,000万円だった。入場者は1982年の約1億5,500万人から1983年に約1億7,000万人へ増え、翌1984年は約1億5,100万人に戻った。

ナウシカとジブリ

『風の谷のナウシカ』は1984年3月11日に公開された。制作はトップクラフトで、製作は徳間書店と博報堂が参加する製作委員会方式だった。配給収入は約7億4,000万円、観客は約91万人で、映連の1984年の邦画上位6本には入っていない。それでも、ここから1985年にスタジオジブリが徳間書店の子会社として生まれた。最初の作品『天空の城ラピュタ』(1986年)は約77万人、『となりのトトロ』と『火垂るの墓』の2本立て(1988年)は約80万人で、興行は大きくなかった。1989年の『魔女の宅急便』が約264万人と、ジブリで初めて大きく伸びた。

ビデオとミニシアター

1983年4月に日本ビデオ協会がレンタルの規則を決め、同年11月に法整備がされて、それまで灰色だったレンタル業が正規の商売になった。正規加盟店は1995年12月の12,454店が最多である。映画館の側では、1981年のシネマスクエアとうきゅう(新宿)が企業が最初から映画館として作ったミニシアターの先駆けとされ、1982年から1983年にかけてユーロスペースやシネ・ヴィヴァン・六本木が続いた。1989年の『ニュー・シネマ・パラダイス』は、ミニシアターの興行記録を作った。

なぜ受けたのか

角川映画は、小説を読んだ若者が映画を見て主題歌を買うという流れを一つの宣伝に束ねた、と考えられる。アニメ映画は、雑誌『アニメージュ』の編集者だった鈴木敏夫が徳間書店でナウシカの企画を押したことで形になった(ウィキペディア「スタジオジブリ」)。映画館の外に出口ができたことで、映画の価値は上映の期間だけでなく、ビデオで長く売れる値打ちでも測られるようになったと考えられる。

評価の分かれる点

角川映画を、映画を宣伝の道具にしたと見るか、観客を新しく連れてきたと見るかは分かれる。『風の谷のナウシカ』は、制作会社がトップクラフトであり、ジブリの設立前の作品なので、厳密にはジブリ作品ではない。ジブリ作品の一覧に入れるかどうかは資料で扱いが違う。配給収入の数字も、出典によって食い違う。

くらさんの考察

1980年代は、日本映画が「映画館で見るもの」から「いろいろな場所で見るもの」に変わる入口だったと考えられる。ナウシカの7億円という数字は、当時は大成功とは言いがたいが、その後のジブリの積み重ねを見ると、初期の評価と長い評価のずれの例になる。

ジージへの問いかけ

・ジージは角川映画のどれかを映画館で見ましたか。
・初めてレンタルビデオを借りたのは、何を見るためでしたか。
・ナウシカを見たとき、これが後に世界で知られるアニメになると思いましたか。

出典

・映連「日本の映画産業データ(1955〜2025年)」 https://www.eiren.org/toukei/data.html
・映連「1983年 配給収入上位作品」 https://www.eiren.org/toukei/1983.html
・映連「1984年 配給収入上位作品」 https://www.eiren.org/toukei/1984.html
・映連「1989年 配給収入上位作品」 https://www.eiren.org/toukei/1989.html
・ウィキペディア「角川映画」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%98%A0%E7%94%BB
・ウィキペディア「風の谷のナウシカ (映画)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E3%81%AE%E8%B0%B7%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%82%AB_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
・ウィキペディア「スタジオジブリ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%82%B8%E3%83%96%E3%83%AA
・ウィキペディア「レンタルビデオ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA
・ウィキペディア「ミニシアター」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%BC
・ウィキペディア「日本映画」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%98%A0%E7%94%BB

動画

・【予告篇】『セーラー服と機関銃』(角川シネマコレクション)https://www.youtube.com/watch?v=XZkBhfbvgbA

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