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No.207新着 二十四の瞳(松竹・1954年) 小豆島の分教場に重ねた、先生と十二人の子どもの十八年

壺井栄の小説を木下惠介が脚色・監督し、1954年9月に松竹が公開した白黒作品。小豆島の分教場に赴任した女性教師と、教え子たちの十八年を描く。公開年のキネマ旬報ベスト・テンで第1位になり、小豆島の名とともに語られてきた。

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登録日時
2026年10月31日 19:09
出典を確かめた日
2026年10月31日
分野
名作を読む
立場
事実・データ
タグ
邦画新着松竹新着監督新着女優新着映画祭新着海外とのつながり新着
作品・人物
木下惠介、高峰秀子、壺井栄、田村高廣、松竹
資料の種類
事典・概説
年代
1954年、1950年代

本文と出典

あらまし

『二十四の瞳』は、1954年9月に松竹が公開した白黒の劇映画である。監督・脚色は木下惠介、原作は壺井栄が1952年に発表した同名の小説。撮影は楠田浩之、音楽は木下忠司が担った。主演は高峰秀子で、田村高廣、月丘夢路、小林トシ子、笠智衆、天本英世らが出演している。
物語は1928年から1946年までの十八年間にわたる。瀬戸内海に面した村の小さな分教場に若い女性の先生が赴任し、一年生十二人を受け持つ。子どもたちは成長し、やがて戦争が一人ひとりの暮らしに影を落としていく。教室の外の時代が、教師と教え子の関係をどう変えるかが軸である。

主なできごと

・1952年 壺井栄が小説『二十四の瞳』を発表する
・1953年春から1954年春 撮影が行われる
・1954年9月 松竹が公開する
・1954年度 キネマ旬報ベスト・テン(第28回)で日本映画の第1位になる
・ブルーリボン賞(第5回)の作品賞、毎日映画コンクール(第9回)の日本映画大賞を受ける
・1955年 ゴールデングローブ賞(第12回)の外国語映画賞を受ける
・1962年 リバイバル上映用に、画面の上下を切った「ワイド版」がつくられる
・1987年 朝間義隆監督、田中裕子主演で再び映画化される

くわしく 原作と舞台

原作の小説は、舞台を「瀬戸内海べりの一寒村」と書くだけで、具体的な地名を挙げていない。映画は、原作者の郷里である香川県の小豆島を舞台に設定し、ロケも同じ島で行った。ウィキペディアによれば、これによって「二十四の瞳といえば小豆島」というイメージが広く定着した。島には、撮影のために建てたオープンセットを使った「二十四の瞳映画村」がある。土庄港には、登場人物をかたどった「平和の群像」の像が立っているとコトバンクは伝える。
題名の「二十四」は、十二人の子どもの瞳の数である。この数字は、配役の組み方にも関わっていた。

くわしく 子どもたちの配役

子ども役は全国から募集され、3600組7200人の応募者から12組24人が選ばれたと、ウィキペディアは記す。一年生の姿と、六年生に育った姿を、同じ兄弟姉妹が演じる形をとっている。大人になってからの配役も、子ども時代に似た俳優が選ばれた。年月を一本の映画で見せるために、顔立ちのつながりを重視したことになる。
撮影は1953年春から1954年春まで、およそ一年に及んだ。選ばれた子役たちは後に「瞳の会」をつくり、同窓会を続けていると記されている。

くわしく 受賞と版の違い

公開年のキネマ旬報ベスト・テンでは日本映画の第1位だった。第2位は同じ木下の『女の園』、第3位は黒澤明の『七人の侍』である。同じ年に並んだ顔ぶれから、当時の日本映画の層の厚さが分かる。
ウィキペディアは、配給収入を2億3287万円としている。ただし、この数字を同じ年の他作品と比べた順位は、今回確かめられていない。
作品の形も一つではない。1962年のワイド版は約143分で、木下自身が再編集に関わった。2007年にはデジタルリマスター版が公開され、その後の映像ソフトは基本的にこの素材を使っているという。

なぜ今も語られるのか

理由の一つは、戦争を直接の戦闘場面ではなく、教室と家庭の側から見せたことにある。コトバンクは、この作品を木下の代表作とし、戦争を告発する反戦映画の側面を指摘する。資料が伝えるのは、戦争が教師と生徒に苦難をもたらしたという点までである。
もう一つは、小豆島という具体的な場所と結びついたことだろう。舞台を実在の島に置いたことで、観光や郷土の記憶と作品が重なり、公開後も人が訪ねる土地になった。
1989年の文藝春秋の「大アンケートによる日本映画ベスト150」では第7位に挙がっている。公開から三十年以上たっても、日本映画の代表作の一つとして選ばれていたことを示す。
海外では、先に述べたゴールデングローブ賞の外国語映画賞を受けている。

評価の分かれる点

今回開いた資料には、1954年版そのものを批判する記述は見つからなかった。評価が分かれる論点があるとしても、確かめられていないため、ここでは書かない。
確かめられた食い違いは、基本情報の数字である。公開日は、映画.comが1954年9月14日、ウィキペディアは本文で9月14日、情報欄で9月15日としている。上映時間は、映画.comが154分、ウィキペディアが156分である。出典ごとに数え方が違う可能性があり、本稿ではどちらも断定しない。また、木下の肩書も、映画.comとコトバンクは「脚色」、ウィキペディアは「脚本」と書き分けている。
1987年の再映画化は、脚本が1954年版と同じ木下惠介である。ウィキペディアによると、この作品への批評では、前作と比べられることが「宿命」として語られ、色彩や演技の違いが指摘された。

くらさんの考察

この作品が長く残ったのは、先生と子どもたちの関係を、時代に流される人々の記録として積み重ねたからだと考えられる。十八年という長い期間を一本で見せるには、観客が最初の十二人の顔を覚えていることが前提になる。子役の選び方に時間をかけたことは、その前提をつくるための工夫だったと考えられる。
また、小豆島が舞台として定着したことで、作品が地域の記憶と結びついた。映画の舞台が観光地になる例は多いが、この作品では、原作が地名を伏せていた点が面白い。映画の側が場所を決め、それが後から原作のイメージにも逆流したと見ることができる。
なお、1987年版と比べると、同じ脚本家による同じ物語でも、白黒とカラーで受け取り方が変わる。映像の質感が、物語の印象にどこまで影響するのかは、見比べる楽しみでもある。

ジージへの問いかけ

・ジージが子どものころ、学校の先生との別れで、いちばん記憶に残っているのはどんな場面でしょうか。
・この映画を映画館や、のちのテレビ放映で見たとき、どこで涙が出ましたか。
・小豆島のような、映画の舞台になった土地を訪ねたことはありますか。実際に行ってみて、映画の印象は変わりましたか。

出典

・コトバンク「二十四の瞳」 https://kotobank.jp/word/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%9B%9B%E3%81%AE%E7%9E%B3-109598
・ウィキペディア「二十四の瞳 (映画)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/二十四の瞳_(映画)
・映画.com「二十四の瞳」 https://eiga.com/movie/38410/

動画

・『二十四の瞳』デジタルリマスター 予告篇(松竹シネマPLUSシアター)https://www.youtube.com/watch?v=gKxr41437x4
・『二十四の瞳』デジタルリマスター 予告篇 directed by 橋口亮輔(松竹チャンネル/SHOCHIKUch)https://www.youtube.com/watch?v=JptRRM1wVbE

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