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No.84新着 羅生門(大映・1950年) ヴェネツィア金獅子賞が、日本映画を世界に知らせた

1950年8月25日に大映が公開した黒澤明監督の作品。1951年にヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受け、日本映画として初の受賞になった。当時の大映も黒澤も出品を知らなかったとされる。

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登録日時
2026年10月29日 13:38
出典を確かめた日
2026年10月29日
分野
名作を読む
立場
事実・データ
タグ
邦画新着時代劇新着日活・大映新着監督新着映画祭新着海外とのつながり新着
作品・人物
黒澤明、宮川一夫、三船敏郎、京マチ子、大映京都撮影所
資料の種類
事典・概説
年代
1950年、1951年、1950年代

本文と出典

あらまし

『羅生門』は、1950年8月25日に大映が公開した白黒の映画で、上映時間は88分。監督は黒澤明、脚本は黒澤と橋本忍、原作は芥川龍之介の『藪の中』である。タイトルと舞台設定は、同じ芥川の『羅生門』に基づく。撮影は宮川一夫、音楽は早坂文雄。出演は三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬、千秋実。
一つの事件を、それぞれの人物が違う形で語る。真実がどれか分からないまま進む構成が、この映画の特徴である。

主なできごと

・1950年8月25日 日本で公開
・1951年8月 ヴェネツィアで上映される
・1951年9月 金獅子賞を受賞(日本映画として初)
・1951年12月 ロサンゼルスの日本映画館で上映、その後RKOが配給権を得てニューヨークで公開
・1952年 第24回アカデミー賞で名誉賞を受賞

くわしく 企画から撮影まで

橋本忍が芥川作品をもとに『雌雄』という脚本を書き、佐伯清を通じて黒澤に渡った。黒澤は『羅生門』のエピソードを加え、第四の視点として杣売りの証言を書き足した。
大映の首脳陣は難解な企画に疑いを持っていたが、本木荘二郎が脚本を朗読して説得し、製作が許可された。黒澤はセットの少なさを示して、経営陣を安心させたという。
撮影では、サイレント映画の映像美を意識した、光と影の強いコントラストが用いられた。当時はタブーとされた、太陽にカメラを向ける撮影も行った。宮川一夫は初めて露出計を使い、「鏡照明」と呼ばれる独自の照明法も考案した。

くわしく 金獅子賞までの道のり

ウィキペディアによれば、本作はまずカンヌ映画祭への出品候補に挙がったが、音楽がラヴェルの「ボレロ」に似ているとして推薦から外れた。ヴェネツィア側の窓口だったイタリフィルムのストラミジョーリが、本作を出品にふさわしいと判断した。大映は出品に消極的で、字幕費も負担しなかったため、ストラミジョーリが自費で字幕とフィルム代を出したとされる。
1951年8月にヴェネツィアで上映され、9月に金獅子賞を受けた。黒澤は出品を知らず、日本から授賞式に出席した関係者はいなかった。賞は現地で探された別の人物が受け取っている。大映の永田雅一社長は、受賞を知らされて「グランプリって何や?」と聞き返したと伝えられる。
翌1952年にはアカデミー賞の名誉賞(現在の国際長編映画賞にあたる)も受けた。授賞式には関係者が出席せず、在ロサンゼルス総領事が代わりに受け取った。

なぜ今も語られるのか

国内での興行は成功し、1950年度の大映作品で4位だった。都市部のインテリ層に支持された。一方、批評家の評価は高くなく、キネマ旬報ベスト・テンでは5位にとどまった。
海外ではニューヨーク・タイムズのクラウザーがカメラワークを高く評価し、ロジャー・イーバートは最高評価の4つ星を与えた。サタジット・レイは光の使い方に強い影響を受けたと語っている。同じ出来事を複数の視点で描く手法は「羅生門効果」という言葉を生んだ。

評価の分かれる点

結末は、捨て子を杣売りが引き取る。この結末を、取って付けたようだと批判する声があった。黒澤は、人間を信じなければ生きていけないからだと説明している。
受賞についても、黒澤は、西洋のエキゾチシズムや日本への同情も含まれていたのではないかと述べ、現代の日本を題材にした作品ならもっと嬉しかったとも語った。
「ボレロ」に似た音楽は、フランス側から抗議が寄せられた。早坂文雄のオリジナルだと主張して、問題は収まったとされる。

くわしく 製作の背景

黒澤は、大映の首脳陣にセットの少なさを示して安心させた。羅生門の門のオープンセットは大規模で、大映京都撮影所の中に建てられた。製作の箕浦甚吾、編集の西田重雄らが支え、音楽は早坂文雄が担当した。
大映の永田雅一社長は、企画の決定にほとんど関わらなかったとされる。受賞後は自分の手柄のように語ったため、「黒澤明はグランプリ、永田雅一はシランプリ」と揶揄されたという話が残っている。
ロサンゼルスの日本映画館での上映では、約3週間で3万5000ドルの興行収入があった。海外の公開は、現地の配給会社が権利を得てから広がっている。

くらさんの考察

国内の批評家の評価は5位、海外では最高の評価、という差は興味深い。受賞に関わった人物の動きを見ると、この映画が世界に出たのは、映画会社の方針ではなく、個人の判断と費用に支えられた面が大きいと考えられる。
その後の日本映画の海外進出は、この受賞が一つの入口になったとされる。ただし、受賞への黒澤自身の複雑な言葉は、評価の読み方を一つにしないほうがよいことを示している。

ジージへの問いかけ

・金獅子賞のニュースが日本に伝わったとき、世間はどんな反応でしたか。
・同じ出来事が人によって違って語られる筋を、ほかの映画でも見たことがありますか。
・外国で認められてから国内の評価が上がる、という流れをどう思いますか。

出典

・ウィキペディア「羅生門 (1950年の映画)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/羅生門_(1950年の映画)

動画

・【予告篇】『羅生門』(角川シネマコレクション)https://www.youtube.com/watch?v=GbEEfu0x7YM

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