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No.85新着 男はつらいよ(松竹・1969年〜) テレビの最終回への抗議から、シリーズが始まった

1969年8月27日に第1作が公開された松竹の人情喜劇。テレビドラマ最終回への視聴者の抗議が映画化につながった。渥美清が出演した48作は、配給収入464億3000万円、観客動員7957万3000人とされる。

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登録日時
2026年10月29日 13:38
出典を確かめた日
2026年10月29日
分野
名作を読む
立場
事実・データ
タグ
邦画新着松竹新着監督新着男優新着数字・統計新着
作品・人物
山田洋次、渥美清、倍賞千恵子、森﨑東、松竹
資料の種類
事典・概説
年代
1969年、1970年代、1990年代

本文と出典

あらまし

『男はつらいよ』は、1969年8月27日に第1作が公開された松竹の映画シリーズである。第1作は上映時間91分。原作と監督は山田洋次、脚本は山田洋次と森﨑東、主演は渥美清、妹のさくらを倍賞千恵子が演じた。配給は松竹。
舞台は東京都葛飾区柴又の帝釈天の門前にある団子屋「とらや」である。旅先で出会った女性(マドンナ)に寅次郎が惚れ、多くは失恋や身を引く形で終わる。

主なできごと

・1968年10月〜1969年3月 フジテレビ系でテレビドラマ版(全26話)を放送
・1969年8月27日 第1作が公開される
・1972年〜1985年 お盆と年末年始の年2回公開が続く
・1990年以降 正月の年1本になる
・1995年 第48作『紅の花』で本編が終わる
・1997年 特別篇(第49作)が公開される
・2019年 第50作『お帰り 寅さん』が公開される

くわしく テレビから映画へ

フジテレビの小林俊一が渥美清主演のドラマを企画し、渥美が山田洋次を推薦して始まった。テレビ版は当初の人気が低迷したが、回を重ねるごとに視聴率が上がり、最高で20%台に達した。最終話は、寅次郎が奄美大島でハブに咬まれて死ぬ結末で、視聴者から抗議が殺到した。これが映画化につながったとされる。
松竹は、テレビ番組の映画化に当初難色を示した。山田洋次と松竹プロデューサーの説得で実現し、当時の社長・城戸四郎が山田の意見を受け入れたと書かれている。

くわしく 第1作の数字と評価

第1作の配給収入は1億1000万円、観客動員は54万3000人。同時上映は伴淳三郎主演の『喜劇 深夜族』だった。第24回毎日映画コンクールで山田洋次が監督賞、渥美清が男優賞を受けた。キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画の第6位で、渥美が主演男優賞を受けている。
当初は2作で終わる予定だったが、第5作で観客が大きく増えたため、シリーズが続けられた。第8作では観客動員が前作比6割増になり、以降は松竹の「ドル箱」シリーズになったとされる。

なぜ今も語られるのか

渥美清が出演した48作の配給収入は464億3000万円、観客動員は7957万3000人と書かれている。30作を超えた時点で、作品数において世界最長の映画シリーズとして、ギネス世界記録の国際版に認定された。シリーズは全50作だが、渥美の出演は48作までのため、ギネスでは全48作として認定されている。年数では『007』のほうが長いとされる。
山田洋次は全50作での完結を構想していた。しかし第49作の準備中に渥美が死去したため、1995年の第48作で本編は終わった。その後、特別篇と、2019年の第50作が作られた。

評価の分かれる点

資料として開いたウィキペディアの範囲では、シリーズ全体の賛否を取りあげた節は確認できなかった。後期には、さくらの息子の満男が中心となる構成が現れた。これは渥美の体調の変化も背景とされる。冒頭の夢の場面が次第になくなったことも、変化として書かれている。こうした変化を、どう評価するかは見る人によって違うだろう。

くわしく シリーズの形

テレビ版は、全26話のうち現存するのは第1話と最終話だけと書かれている。映画版では、原作・脚本は全作で山田洋次が担当した。監督は第3作が森﨑東、第4作が小林俊一で、それ以外は主に山田洋次である。
各作は日本各地でロケを行い、盆の公開作は南から北へ、正月の公開作は北から南へ旅する傾向があるとされる。山田洋次が柴又を知ったのは、早乙女勝元の自宅を訪れて、帝釈天を案内されたことがきっかけだと書かれている。テレビ版では柴又でのロケは行われず、すべてセットで撮影された。

くわしく 年2回公開の終わり

1972年から1985年までは、お盆と年末年始の年2回公開が守られた。1990年以降は、正月の年1本になった。後期の一部作品で、満男と泉を中心にした構成が現れた背景には、渥美清の体調の変化があるとされる。最終的に本編が終わった第48作は『紅の花』で、公開は1995年である。

くらさんの考察

テレビの最終回への抗議が映画の出発点だった点は、観客が登場人物を生かし続けたと言える。第1作の動員54万人から、のちの数字までの伸びは、一度の大ヒットではなく、年に何度も通う観客の積み重ねだったと考えられる。盆と正月に年2回公開され続けたことは、映画館に行く習慣そのものだったとも読める。

ジージへの問いかけ

・盆と正月に『男はつらいよ』を見に行くのは、ジージの家でも習慣でしたか。
・好きなマドンナの回はありますか。
・テレビ版の最終回を見た方はほとんどいないようですが、見た記憶はありますか。

出典

・ウィキペディア「男はつらいよ (映画)」 https://ja.wikipedia.org/wiki/男はつらいよ_(映画)
・ウィキペディア「男はつらいよ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/男はつらいよ

動画

・映画『男はつらいよ』(第1作)予告編映像/4Kデジタル修復版ブルーレイ2019年12月5日リリース(松竹チャンネル/SHOCHIKUch)https://www.youtube.com/watch?v=KqSw6_wuv3E

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この記事を読んで浮かんだ疑問は、運営者ジージが映画QAでくらさんに質問し、答えをそこに載せていきます。