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No.87新着 千と千尋の神隠し(東宝・2001年) 十歳の少女のために作られ、日本の興行記録を塗り替えた

宮崎駿監督が、スタジオジブリ関係者の十歳前後の少女たちに向けて作った長編アニメ。2001年7月20日に公開され、当時の日本映画の興行記録を更新し、ベルリン国際映画祭の金熊賞とアカデミー賞長編アニメ映画賞を受けた。

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登録日時
2026年10月29日 13:38
出典を確かめた日
2026年10月29日
分野
名作を読む
立場
くらさんの考察
タグ
邦画新着アニメ映画新着角川・ジブリ新着東宝新着映画祭新着数字・統計新着海外とのつながり新着
作品・人物
宮崎駿、鈴木敏夫、スタジオジブリ、東宝、久石譲
資料の種類
事典・概説
年代
2001年

本文と出典

あらまし

『千と千尋の神隠し』は、宮崎駿が原作・脚本・監督を務め、スタジオジブリが製作し、東宝が配給した長編アニメである。公開は2001年7月20日。製作は鈴木敏夫、音楽は久石譲。上映時間は約125分とされる。
不思議な世界に迷い込んだ十歳の少女が、働くことを通じて自分の力で立ち直っていく。筋はここまでにとどめる。観て確かめてほしい。

主なできごと

・1999年11月2日 企画書が完成した(ウィキペディアによる)
・2001年7月20日 日本で公開
・2002年2月 第52回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門で金熊賞を受賞
・2003年 第75回アカデミー賞で長編アニメ映画賞を受賞
・2016年9月、2020年6月 再上映
・2020年12月15日 興行収入が316.8億円と確定した(ウィキペディアによる)

生まれたいきさつ

ウィキペディアによると、出発点は、夏に信州の山小屋で合宿していたジブリ関係者の十歳前後の少女たちだった。宮崎は、この年ごろの少女に向けた作品を作ろうとした。主人公のモデルは、製作を担当した日本テレビの役員の娘とされる。
企画は『霧のむこうのふしぎな町』などの案を経て、1999年11月に企画書にまとまった。仮の題は「千の神隠し」で、主人公の名も初めは違う名前だった。絵コンテを描く途中で、カオナシが準主役級の存在に育ったという。

作り方の特徴

ウィキペディアに記された制作の数字は次のとおり。原画は37人、動画は国内99人に韓国の外注27人を加えた126人の体制だった。海外のスタジオに動画と彩色の一部を出したのはジブリで初めてだった。仕上げと撮影の工程を完全にデジタル化したのも、宮崎作品ではこの作品が初めてとされる。
作画監督は安藤雅司が務めた。同じ記述によれば、安藤は後半で千尋の描かれ方が理想化されていくことに違和感を持ったという。作品の中心に立つ作り手同士でも、見ている方向が一致していたわけではない。

興行と賞

公開時の興行収入は304億円だった。その後の再上映が積み上がり、2020年12月15日に316.8億円と確定した。観客動員は延べ約2350万人とされる。この数字は、2020年に『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が超えるまで、日本の映画興行の首位にあった(シネマトゥデイの報道では2020年12月28日に更新)。
ベルリンの金熊賞は、長編アニメとしてこの映画祭で初めての受賞とされる。同時受賞は『ブラディ・サンデー』。アカデミー賞の長編アニメ映画賞は日本映画として初の受賞で、ウィキペディアは、2024年の『君たちはどう生きるか』まで日本の長編アニメで唯一だったと記す。授賞式にはイラク進攻の影響で、宮崎の代理の鈴木敏夫は出席できなかった。宮崎は受賞のコメントを出している。

アメリカでの公開

北米の配給権はディズニーが取り、ピクサーのジョン・ラセターが推して英語版の製作総指揮を務めた。英題は Spirited Away。米国では2002年9月20日に公開された。ウィキペディアによれば、2001年8月のディズニー社内の試写で、当時のCEOの反応は芳しくなかった。

なぜ今も語られるのか

評価の数字は高い。ウィキペディアは、米国の批評集計サイトで好意的な評価が96%、Metacriticで96点と記し、日本のアニメ映画で最高としている。2016年のBBC選出の21世紀の偉大な映画では第4位、2017年のニューヨーク・タイムズ紙の21世紀の映画25本では第2位とも伝える。
興行記録そのものは後に別の作品が更新した。それでも語られ続けるのは、日本の観客に広く受け入れられたことと、海外の映画祭と批評家に評価されたことが、一本の作品で同時に起きたからだと考えられる。

評価の分かれる点

すべての人が絶賛したわけではない。ウィキペディアの記述では、長谷正人が過去の宮崎作品に比べて物語の魅力が乏しいと指摘している。押井守は、千尋の両親の描き方をご都合主義と批判し、千尋の人格の描写も不十分だと見る。一方で押井は、大ヒットの理由を日本人の国民性に求めて分析してもいる。

くらさんの考察

この映画の数字は、当時の日本映画の常識からはずれている。それでも監督が出発点に置いたのは、特定の少女たちという小さな相手だったと考えられる。大きな観客を狙うより、身近な一人を思い浮かべて作ったほうが、結果として多くの人に届く場合がある。ただし、これは資料から読み取れる範囲の推測で、宮崎本人が狙いを語った言葉を確かめたわけではない。

ジージへの問いかけ

・2001年の夏、映画館で観たときの空気を覚えていますか。当時の観客の入り方は、これまでのアニメ映画と違いましたか。
・「十歳の少女のため」という企画の出発点を知ると、観方は変わりますか。
・押井守のような批判の声は、その後の見方に影響したと思いますか。

出典

・千と千尋の神隠し(ウィキペディア) https://ja.wikipedia.org/wiki/千と千尋の神隠し
・スタジオジブリ公式(作品ページ) https://www.ghibli.jp/works/chihiro/
・映画「鬼滅の刃」が国内興収歴代1位に 「千と千尋」抜く(CNN.co.jp) https://www.cnn.co.jp/showbiz/35164490.html

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